HOME > SUPERLOCAL > Shinobu KAJITA > page2
SUPERLOCAL interview
カジタ シノブ
自分たちの価値で勝負する、ということ
—歴史や文脈が、地方のなによりの強み
地方特有の歴史や文脈の強さも、カジタが注目するポイントだ。常に新しさを求められ、都市を更新し続けなければならない都市部と違い、田舎はいまだに古い歴史を引きずったまま。そのことをネガティブに語る層も多いが、「昔から何も変わらない」というのは、それだけ分厚い文脈を引き継いでいるということでもある。
カジタが注目する室蘭市は、鉄鋼で栄えた人口9万人の小都市。かつては20万人の人口を誇り、人口密度も道内最高だったと言われている。今のところアートやクリエイティブの目立った動きはないものの、高度経済成長期からの産業遺産を抱えており、取り組みによっては「化ける」要素を多く持っていると言えよう。歴史や文脈の分厚さは、他県の都市にもひけをとらない。↗
室蘭は、僕が勝手に注目している、というだけなんですが、面白い町ですよ。アートやクリエイティブの話はほとんど聞きませんが、もともと鉄鋼の町だったということもあって、工場は今でも動いているし、港町として魅力的なんです。土地に魅力があるというか。
僕はもともと東京出身で大学から札幌に移住したので、都心部にしか住んでないんです。初めて室蘭にいったとき、すっごい向こうに工場が見えるだけで何もない場所を女子中学生が1人とぼとぼ歩いて下校してるのを見て、すごくいいなあって思いました。バブル期に立てられた施設、産業遺産とかも魅力的です。
さっき紹介した樽前artyが行われている苫小牧とか室蘭とか、田舎と言われるし人口も若い人も少ないけど、札幌だって僕の中では田舎ですよ。人口とかではなく「東京のまねごとを良しとしてるとこは全て田舎」って言ったら乱暴ですかね。
札幌は開拓されてせいぜい140年ですから、歴史のバックグランドも本州の土地に比べると、ほとんどありません。都市としてそこそこのボリュームがあるからこそ常に歴史を上書き保存しているので、連綿と続いているものがない。
地方は、歴史を上書きせず少しずつ残していきながら進んできているので、開拓から間もないとは言っても室蘭のような土地の持っている歴史、文脈をふまえながら進んでいけるのは圧倒的強みだと思うし、本州ならなおさらです。地方だからこそ、自信を持っていい。↙
—東京の価値ではなく、自分たちの価値に自信を持って勝負する
地方から掘り出されたものは、本来は「そこにしかないもの」であるはずなのに、評価を下す基準はいつも「東京の人が認めたかどうか」になっていたのではないか。カジタは、まずそこから地産クリエイティブを解放しようとしているのかもしれない。価値の基準を、地方に取り戻すための仕掛けづくり。カジタの目は、今そこに向けられている。
札幌近郊のイベント情報を集積するサイトを作ろうと思ってます。情報発信の部分を強化できたらいいなと思って。僕は旗ふりしかできていないんだけど、最初から金が絡むとやりにくいので、ボランティアベースで作ってしまってから、お金にする算段を考えたいなと。 お金のことを考えだすと何もできないですからね。札幌にはそれぞれの分野で専門家がいるから、最小単位で集まればプロジェクトが動いていけます。
まあぶっちゃけ、札幌の「創造都市」なんてどうでもいいんですよ。そういうのに頼っていても仕方ないから、自分たちでやったほうがいいんじゃない? って思います。札幌にノースウェーブってラジオ局があるんですが、そこのマンスリーレコメンドをやると全国で売れるって伝説があったそうなんです。そういう状況をもっと作るべきです。「札幌で売れるものは全国で売れる」っていう。↗
美術展などにしても、東京のパッケージが全国巡回するのが多いですけど、以前、旭川美術館で企画された「ウルトラマンアート展」というのが全国を回ったように、面白いものができれば全国を回れるんです。東京で評価されるパッケージをありがたがるのではなく、地方で生まれたものを「そちらでもどうですか?」と言えるようにしなくいちゃいけない。だから、僕は地産地消にはあまり興味がありません。
そうしていくためには、少なくとも「自分は面白いと思って作ったよ」って気持ちがないといけないし、せめて本人が言い張らないといけない。東京なんてただの集積地ですよ。しかも東京より先に世界がある。目と鼻と口の数は一緒なのに、地方都市には自信を持って外に出すということが一番欠けているんじゃないでしょうか。
俺らが「いい」って言ったものは少なくとも誰かにとっても「いい」もののはずなんです。なんで見向きもしないのよって自信を持って言えるように、いろいろ悪巧みを考えていきたいと思ってます。
それに、東京の価値なんて抜きにして、例えば北海道と福島が繋がって新しい価値を生むような取り組みがあってもいい。それくらいのことはできるはずです。「東京で評価される」ことから抜け出せなければ、いつになっても自分たちの価値では勝負できません。別に東京がどうとか、どうでもいいじゃないですか。なんか面白いこと、北海道と福島でやっちゃいましょうよ。
カジタの話はシンプルだ。「どこに住んでいても、自分が面白いと思ったことを自信を持ってやれ」ということに尽きる。誰かの価値を追従するのではなく、自分たちが価値を作り、発信するのだという志。そこには、作家への叱咤と愛情、地方に対するエールがあった。そしてその志は、地産クリエイティブシーンにおけるプロデューサー(まさにカジタのような)に、なくてはならないものだろう。
もちろん、自分が面白いと思ったことを貫徹するには、当然責任も伴えば質も問われることになる。東京や首都圏よりも、それは過酷だろう。しかし、地産だからこそ、地方の歴史や文脈の力もあいまって、全国で勝負ができる価値を生むのだ。樽前の例で見てきたように、それは地域と結びつき、日々の「糧」にもなっていく。
とかく地方に住んでいると、「東京の人たちが評価した」ことが評価になりがちだ。地方発のものはなんにせよそう。「東京で一人前になる」ことが、地方出身者の絶対的な目標だった。しかし、果たしてそれでいいのか。それを続けていく限り、地産クリエイティブの未来はないのではないか。極北の地から、カジタはそんなメッセージを発し続けている。
(終)
コメントをお書きください