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SUPERLOCAL interview
高木 市之助
田舎を楽しむことは、ファミコンを楽しむことと似ている。
―小名浜というファミコンソフトの攻略本をつくる
僕は高校までを小名浜で過ごして、それから仙台や東京に移り住んでいろんなことしましたね。まあなんだかんだで2010年に小名浜に戻ってきたんですが、当時は、小名浜ってなんっていうか「懐かしいハード」だなって思えたんです。ほんとファミコンみたいな。
改めて小名浜での暮らしや表現を考えたとき、絵を描いたり写真を撮ったりというシンプルな「ソフト」を自分が持ってることに気づいたんです。ファミカセみたいに小名浜というハードにはめ込んでみると、素直に楽しいし、発見があった。
小学生の頃って『たけしの挑戦状』が全然わからなかったじゃないですか。難しくてふざけんなよとか思って、クリアしないでそのまま。そして時代はスーパーファミコンになって、プレイステーションとか新しいゲームにもいろいろ手を出しました。
でも、いろんなゲームをやったおかげなのか、もう一度ファミコンに戻っても意外と楽しめることに気づいたんです。『たけしの挑戦状』は相変わらずクリアできないんだけど、音楽やグラフィックやシナリオやいろいろな要素を、新しい視点で面白がれるんです。↗
そんな経験もあって、ああ、小名浜ってファミコンなんだなって、田舎を楽しむってそういうことなんだって思うようになりました。絵を書いたり写真を撮ったりって、特別なソフトじゃない。けっこうどんなハードでも応用して遊べるものなんですよ。
スーパーファミコンを始めちゃったら、当然「ファミコンなんてつまんねー」って思っちゃいますよね。でも、なにごとも「つまらなさ」を経過するからこそ、さらなる面白さを求めるわけだし、そうやって「ゲーム」そのものの楽しみ方を学習していくものだと思うんです。
それと同じで、小名浜ってつまんねえ町だって気づくことが第一歩としてあってもいいんじゃないかって思います。ずっとここにいたら、他の町との違いも、小名浜の面白さもわからなかったと思うんです。いろいろなハードで遊んでみることが大事ですよね。
でも、最新のゲームが面白いのって当たり前じゃないですか。20年も前のゲーム機でも遊び方を知ってれば充分楽しめる。自分の手元にはいろいろなソフトもある。だから今は、ソフトをいろいろ試しつつ、それを楽しむための攻略本を作っているような感覚です。↙
―楽しいことは、はみ出した先にしかない
小名浜という町は、ファミコンみたいに古くさいハードかもしれない。しかし、高木自身が30歳を超えた今ごろになって本当の楽しみ方を覚えたように、誰も遊び尽くさないまま新しいハードに飛びついてしまうことが多いのではないか。
確かに所詮はファミコンだ。音質も画質も容量も昭和のまま。スペックも当然低い。しかし、高木は「アート」の力でそのスペックを補うことで、遊び尽くす方法を編み出すことができると考えている。その大事なキーワードは「はみ出す」ことだと高木は言う。はみ出して初めて、ファミコンが面白くなるのだ。
小名浜の楽しみ方を示すには、普通にファミコンやってても伝わらない。普通に遊ぶなら、最新のヤツにはやっぱり適わないです。だから、僕は「衝撃を与える」ってことを大事にしてます。「ええ? こんなことしていいんだ!」っていう衝撃。
いわきでも福島でも、町に何人も人が出てスケッチするなんてないし、それが小名浜ならなおさら異常じゃないですか。アートには、そういう力がある。普通の範囲を超えるからこそ何かしら生まれ、続けることでカルチャーが生まれていくと思うんですよ。↗
楽しいことって、やっぱりはみ出した先にしかない。こんなのアリなんだっていう驚きが大事ですよね。個人的な話をするなら、はじめて「電気グルーヴ」を知ったときの衝撃はすごかった。「うわあ、楽器を演奏しなくても音楽ユニットなんだ!」っていう(笑)。
そういう大きな衝撃は、例えば最新テクノロジー満載で誰もが価値を認めるものではなく、誰もが目を背けたものを使うからこそ生まれるんだと思います。はみ出すからこそ、ファミコンは堅苦しい常識をはみ出して、面白くなる。
押し入れの中から何年も使ってないファミコンを引っ張り出してくるみたいに、久しぶりに町の中を歩いたり、あれこれ昔を思い出しながら絵を描いてみたり。
それで、少しずつ感覚を取り戻すうちに、新しい楽しみ方もわかってきて、「うわああ、ファミコンなのにこんなに楽しいことできんのか!」って衝撃が生まれる。それが一番面白いじゃないですか。魅力的な地方生活って、たぶん、そういうところから生まれるものだと思います。
(終)
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