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SUPERLOCAL interview
ASA-CHANG
じゃんがらを通して見る未来
text by Riken KOMATSU / photo by プロジェクトFUKUSHIMA! IWAKI!! (HIZA-GAR)
profile / ASA-CHANG
いわき市出身のドラマー・パーカッショニスト。89年に東京スカパラダイスオーケストラのパーカッション兼バンド・マスターとしてデビュー。93年に脱退し、フリーランスに。98年にASA-CHANG & 巡礼を結成し、既存のジャンルでは括りきれない独特の音楽を展開。ポップとアバンギャルドを軽々と行き来する様々な活動が多くの注目を集めている一方、作曲・アレンジもこなすプロデューサーとしても活躍している。
様々なフェスやイベントを通して福島の今を世界に発信していこうという「プロジェクトFUKUSHIMA!」。遠藤ミチロウ、大友良英といった錚々たるメンバーが名を連ね、福島市や郡山市を中心にさまざまなプロジェクトが繰り広げられている。いわき市出身の音楽家ASA-CHANGも、そのプロジェクトに賛同した一人だ。しかし、その活動は、自らの音楽活動とはかけ離れたものばかりのようにも見える。黙々と、しかし貪欲にいわきを動き回るASA-CHANGを突き動かすものとは、いったい何なのだろう。希代のエンターテイナーが語る言葉に、311後の「地方におけるクリエイティブ」のヒントを探り出してみたい。
ー感動だけではない、自問自答が必要
昨年夏、「プロジェクトFUKUSHIMA! IWAKI!!」の一環として、旧盆の猛暑の中、念仏踊り「じゃんがら」を奉納したASA-CHANG。インタビュー冒頭、記憶に残るであろう2011年を振り返ってもらった。
もう年が明けて2012年になってしまったか、という感じです。2011年を振り返ると、震災を語る言葉なんて私見つかりません。ちょうど年末の民放テレビで1年を総括するような報道番組がありましたよね。
きめ細やかに取材されていたものもありましたが、恐さも同時に感じました。「まとめ作業」してしまうことによって、被災地の誰もそうは思っていないのに、震災にひとつの終止符が打たれてしまったような印象を受けてしまったからなんです。
年の瀬だからなんとなくはわかるんですが、「さあ復興へむかおう!」「辛いことは今年で終わって欲しい!」と願ってもなにも解決していない。原発もボロボロの状態に変わりはありません。放射線量も下がったわけではない。正直「こんな年の越し方、終わり方はないんじゃないのか?」とテレビを見て思ってしまいました。
年末の報道について不信感は、ASA-CHANGの「伝えたい」という意欲を高めたのだろうか、2012年は、既存メディアでは紹介されない福島の歴史を紐解くプロジェクトを計画している。2月10日、いわきアリオスで開催される、ハワイに暮らす日系人の文化と歴史を写したドキュメンタリー・フィルムの上映会だ。↗
今、福島県から多くの人が「移動」しています。自分の住んでいた町に居られなくなった方々です。原発関連施設で働く方々も福島に「逆移動」している。日々そこで生活しているみなさんは、この異常さに慣れてしまいそうですが、本当に尋常じゃない。
そんなときに「未来に向かおう」、「つながろう」といっても、正直、明日の心配で精一杯。「未来?」という方が多いのではないでしょうか。でも、いますぐに未来図を描くことできはなくても、過去に起きたことは紐解ける。
この映画は、100年以上前の出来事から現在までを記録した映画ですが、人間の「移動」ひとつとっても、今の私たちにリンクするいろいろな事柄が、このドキュメント映画には内包されています。
311後、震災をテーマにした映画が各地で上映されてきました。しかし、タイミングも含めてダイレクト過ぎる映画作品や上映会が多い気もします。無人で無音の町に咲く桜の花に象徴される『圏内』のドキュメント作品や、命の誕生を描いた映画もありますね。こうした作品は激情的にドカっと深く響く良い作品だと心から思います。
しかしながら「ああ~感動した!」だけで終わってしまうことが多いのも否めない。「プロジェクトFUKUSHIMA! IWAKI!!」は、被災地に生きるみんなの未来を考える「心の柱」になるような映画、僕を含め、それぞれが自問自答するような、示唆に富む映画上映が必要なのではないのかと思ったのです。
常磐炭鉱が閉山して、いわきに「ハワイ」がやってきました。ところが、ハワイとのつながりはそれだけではなかった。ハワイには福島県人会の盆踊りが根強く残っていたんですね。全く知らない事実でした。ちょうど、お盆にじゃんがらをやらせてもらっていた時期にフィルムを紹介されて、この映画の上映の必要性を直感しました。↙
—ASA-CHANGを理解するためのキーワード、「歴史」
じゃんがらにしても、今回の上映会にしても、震災後、ASA-CHANGが「プロジェクトFUKUSHIMA! IWAKI!!」で行うアクションはどれも「歴史」がキーワードになっているように感じる。インタビュー中、やはりしばしば歴史の話に脱線したが、ASA-CHANG自身は、歴史というものをどのように考えているのだろうか。
えっ?! 歴史なんて言ったって、日本史すら理解してないし(苦笑)、朝倉家の先祖についてさえわからない・・・。どっちかというと歴史にはウトいんですよ。
ひとつ心当たりがあるとすれば、パーカッショニストという職業柄かもしれない。たとえばパーカッションという楽器は、それぞれに奇妙で複雑な歴史がたくさんあるんです。それは国によって、地方によっても違ったりする。タイコは、それぞれにパスポートを持っているんです。
そこにはどんなリズムや音色があるんだろう、なぜ違うんだろうという問いが生まれる。その答えを見つけるには、ルーツを知り、学ぶことしかないんです。アジア、アラブ、アフリカ、ヨーロッパ、いろいろな太鼓があります。その本国の音楽家と一緒に演奏するとき、彼らのルーツを知らないでいたら互いの音楽を尊重しあえない。
私のようなルール無用に見えるトリッキーな演奏家でも、ある程度ルーツを知っているからこそ「お前の演奏は面白いな!」って認めてくれる。そうやって演奏活動をしてきました。
じゃんがらも同じです。いや、「同じ」であり、「違う」んです。いわき市内、いや、広野町、楢葉町、富岡町や「福島第一」のある大熊町にだってじゃんがらは存在していて、その地域によってリズムも唄も踊りも着物も違う。
無理に統一せず、それぞれの土地のプライドとして、その異差を守り続けてきたからこそ、数百年の間、各地域独特の違いが保たれてきました。違っていて当然なんです。
そして、僕がどれだけの太鼓たたきのキャリアがあったとしても、その違いに合わせることは当たり前のことです。なぜなら私のルーツのリズムだからです。というか、48歳の “青年会一年生” にあんまり語らせないで下さいよ(苦笑)↗
これまで、いくつもの国を旅し、さまざまな演奏家とセッションをしてきたASA-CHANG。目の前の演奏家や楽器を知るために、ルーツを紐解くという行為を、ごくごく自然に身体で覚えてきたのだろう。同じ太鼓という楽器でも、歴史も音楽もリズムも違う。その違いを重んじることから演奏が始まり、個を表現しつつも、相手のリズムとフィットさせていかなければならない。
パーカッショニストとしての「歴史への高い関心」。そして、セッションミュージシャンとしての性質がもたらした「個々の違いへ目を向ける姿勢」。ASA-CHANGのクリエイティブの源泉は、まさにそこに貫かれている。
一見「音楽」とは結びつかなさそうだが、そうしたASA-CHANGの寛容な思考が、各国の民俗楽器だけでなく、おもちゃやガラクタまでをも楽器にしてしまう幅の広さや、ポップとアバンギャルドを軽々と行き来できる懐の深さを生み出しているのだ。
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