Re:vive 豊田 善幸さん

いわきにしか、小名浜にしかできない暮らしを

 

少しずつ街が「復旧」し、「復興」へ向けたビジョンが求められる中、「小名浜復興計画」というビジョンを独自に提示した、建築家の豊田善幸さん。エネルギーと向き合いながら、市民が積極的にまちづくりに参加していこうという「ポスト311」にふさわしい、小名浜独自の復興計画だ。その計画の裏には、豊田さんのどんな思いが秘められているのだろうか。

(取材/文 : 小松 理虔) 

 

 

地震から5日後、豊田さんは福島県猪苗代町にいた。妻の千晴さんを連れ、知人の別荘で避難生活を送ることになったのだ。福島第一原子力発電所の爆発事故を受け、混迷の極みにあったいわき市。自宅兼事務所で被災した豊田さんは、数日間いわき市内の別の場所で過ごし、猪苗代へ退避することを決意した。いわき市からいったん距離を置くことで、冷静に情報を収集し、原発の状況を見守ろうと考えたのだ。

 

雄大な猪苗代の自然。しかし、豊田さんの心は休まるどころか、反対に、毛羽立っていった。「猪苗代湖の前に温泉があって、あのパニックがウソみたいにシーンとしてた。いわきのみんなは水が出ないのに、俺はこんな温泉に浸かって何やってるんだって思ってた」。手元のiPhoneには、津波で破壊された東北の海岸線や、原発パニックに揺れるいわきの街、友人たちのツイートが映し出されていた。

 

「やっぱり『逃げてきた』って思いが強かったよ」。豊田さんは、辛い胸をうちを吐き出した。「震災後のいわきをよくする仕事に携わりたい」。そんな思いは日に日に強まるのに、逃げてきてしまったという後ろめたさのせいで、堂々と宣言できない自分がいた。「建築家として、いわきでできることは何だろう」。猪苗代で過ごす時間が長くなればなるほど、そんな自問が、豊田さんを苦しめていた。

 

豊田さんはこれまで、「断熱」にこだわった家づくりをしてきた。それが、省エネにつながり、電気に依存しない暮らしを実現すると信じてきたからだ。福島県飯館村には、豊田さんが設計し、「までいな家」と名付けられた施設がある。理想のエコハウスを目指したその施設は、今回の震災で、意外な機能を果たすことになる。 

 

地震直後、飯舘村には津波被害のあった南相馬からたくさんの避難者が集まっていた。中でも、大きな揺れにもびくともせず、外気が氷点下でも寒くない高断熱の「までいな家」には、30人以上の被災者が暮らしていたのだ。「『断熱屋』だなんて言われたこともあったけど、僕の携わった住宅が、誰かの命を支えるという機能を果たしてくれた。自分のやってきたことは正しかったんだ。ブレなくてよかったと安堵しました」。豊田さんがこだわってきた「断熱」に、確信を持った瞬間だった。 

 

やりたいこと、目指すべきものが少しずつクリアになる中で、豊田さんはいわきへと戻り、住宅の被災診断や、自分が設計した物件のフォローに回ってきた。車で市内を巡る毎日。壊れた建物の前に立つたび、建築家としてのやるせなさを感じていたという。海沿いの街は、特に悲惨だった。「友人たちとサークルをつくってたびたびサイクリングしてたから、僕の好きな風景がみんな壊れちゃったのは、ほんとに辛かったよ」。 

 

壊れた風景を、どう復元し、保存するのか。景観を守ることも、建築家の責務ではないかと豊田さんは考えた。「北海道の奥尻島で起きた津波の時もそうだったんだけど、ただでさえ美しい海辺の風景を壊されてショックなのに、その場所に、大手のハウスメーカーが建てるような個性のない住宅がいくつも並んでしまったのを見たとき、被災地は二重のショックを受けてしまう。小名浜や江名のあの街並みを守り、再生させていくことを、みんなでやっていきたいね」。豊田さんが、この日いちばん語気を強めた言葉だ。  

 

断熱、エネルギー効率、自転車、港町、風景、再生、まちづくり、、、そんな言葉を頭に浮かべながら、豊田さんは、思いつくままにアイデアを書きなぐっていった。ポスト311の小名浜だからこそできるまちづくりがあるはずだ。その強い信念が、ペンを走らせた。気づけば、その膨大なメモは「復興計画」と呼べるものになっていた。 

 

「持続可能なエネルギー政策の立案」。「環境負荷の小さな暮らしの提案」。そして、「いわきらしい町並みの保存と再生」。この3つが、小名浜復興計画の柱となった。震災から1ヶ月、いちはやく「復興」に目を向けたスピード感もさることながら、この計画書には、地震や原発の恐怖と戦ってきたいわきの人間としての「血」が通っている。  そして、建築家としての苦悩もまた、静かに、込められている。

 

この復興計画がどこまで具体的な動きを伴うのか、今から予測するのは難しい。しかし、上から押し付けられるのではなく、「僕たちはこういう街に住みたい」という明確なビジョンが、市民の側から示されていることに疑いの余地はない。そして今、この計画に対して、少しずつ賛同者が集まってきている。住民が自らが、新しい街をつくっていく。小名浜は、被災地で一番最初の、モデルケースになるかもしれない。

 

 

>>小名浜復興計画はこちらから。

 

 

2011.4.28 up

 

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info  豊田設計事務所

平成17年4月に、いわき市開所された建築設計事務所。「ていねいな家づくり」をコンセプトに、流行に左右されない持続可能な家づくりをすすめている。なお、「小名浜復興計画」は、豊田さんがまとめたものを、tetote編集長の小松理虔が加筆・修正した復興ビジョンである。