小名浜復興ためのマスタープラン。
※この復興計画は、いわき市内で建築設計事務所を主宰する豊田善幸先生が作成したマスタープランを、
幣サイト編集長、小松理虔が加筆・修正したものです。
「まちづくり」に携わるみなさま、地方自治体の議員のみなさま、ぜひ、ご一読ください。
そして、ぜひ、ご意見をお寄せください。
この復興計画は、小名浜にゆかりのあるみんなで作っていくものです。
気づいた点、提案したい点、疑問に思う点、なんでも構いません。
みなさんのご意見を、お待ちしています。
当計画の基本理念
地震と津波からの復旧を考える前に起きた原発問題は、いわき市の復興に大きなブレーキとなっている。しかし、ボクたちはこの町に活気を取り戻さなければならない。成り行き任せの復旧ではなく、関わる者が共通の未来像を持つ復興であるべきだと考える。その柱となるのが、以下の3項目である。今後の復興への取り組みにおいては、この3項目の理念を充分に汲み取り、早急に重点的に整備するよう、各方面に協力を求めていきたい。
復興三策
1、持続可能なエネルギー政策立案
2、環境負荷の小さな暮らしの提案、普及
3、いわきらしい街並みの保存と再生
1−(1)持続可能なエネルギー政策立案
今回の災害で原子力発電の安全性に対する信用は無くなった。ボクたちは単に原発反対を訴えるのではなく、これに変わるエネルギーを提案しなければならない。今日「オール電化」は、夢のマイホームに花を添える美しいオプションと思われているが、これも電力会社のしたたかな販売戦略だったのである。電気は非常に精度のいいエネルギーであり、精密機械や照明器具など電気以外の選択肢がない部分があるが、それ以外の部分での電気依存度を見直すことから始めたい。次の世代に負の遺産を残さない社会への移行と、震災復興を同時に行うことが成功の鍵と考える。
太陽熱の活用無限に振り注ぐ太陽のエネルギーは発電より熱エネルギーとして使う方が高効率である。太陽熱の給湯、暖房への活用は既存の設備があり、太陽光発電より安価で最も普及が期待できる。小名浜は冬期間の日照時間が日本でもトップクラスに長く、他地域に比べて設置の効果も期待できる。太陽エネルギーの利用は、「小名浜ならでは」のものだとも言えるのだ。
1−(2)木質燃料の活用
夜間電力は、出力調整が出来ない原発の発電量を消費するための制度であり、これまでの価格での販売は困難になることが見込まれる。太陽熱で賄いきれなかった分の給湯エネルギーは、化石燃料ではなくペレットや薪など持続可能な木質燃料を活用したい。いわき市の「スギ」の植林総数は、県内でも有数であり、「いわき杉」など地域ブランドの木材も誕生している。海のイメージが強い小名浜だが、そのそばには、豊かな森林資源が眠っているのである。
小型発電設備と廃熱利用計画電力会社が送電線を牛耳る時代も間もなく終わるだろう。送電線の自由化により地熱、風力、波力、天然ガスなど太陽光発電以外の様々な発電設備の開発が加速すると考えられる。自治体や生協などが小型の発電所を所有し、「電気の地産地消化」が一般化することも予想される。発電廃熱を利用した高効率な地域暖房や地域給湯システム、さらに将来は農業への利用なども実現に向けて仕掛けていくべきではないだろうか。
2−(1)環境負荷の小さな暮らしの提案と普及
エネルギーが無限であるかのように消費する暮らしを維持するために、どれ程のリスクを背負っていたのか。今回の事故の被害者は、同時に加害者でもあったのである。そしてボクたちは「街の照明は目立つために明るいほどいい」という単純な物差しで競い合う高度成長期の価値観の異様さに気が付いた。これからは本来あるべき姿について深く考え、「ちょうどいい」というひとつ上の次元の物差しで生活すべてを見直すべきだということに、気付き始めている。ローテクとハイテクの融合である。
30年前の技術では、太陽熱を利用して家の暖房をするにしてもちょっと無理があったが、断熱性能確保が容易になった今なら太陽熱だけでも暖房することが可能になっている。太陽光や天ぷら油で車が走るなど、かつての夢が実現される時代が始まろうとしている。
2−(2)建物の省エネ化
暮らしの質を落とす「我慢型省エネ」を持続することは難しい。エアコン、冷蔵庫、洗濯機など家電製品のエネルギー効率が猛烈な勢いで進化しているように、住宅のエネルギー効率についての研究が、寒冷地を中心に進んでいる。これらの技術を活用すれば、いわき市の外気温で計算するとエアコン1台で40坪の住宅全体を暖房することも可能となる。全室暖房で快適性と省エネを両立する技術は既にあったのだが、住宅建設時にキッチン、内装、太陽光発電など、満足感を実感しやすい部分へ予算を優先配分していたのである。それを、改めるべきではないだろうか。
2−(3)輸送エネルギー・コストを削減する地産地消
食材、建材など今日の生活の質を維持するため、あらゆるモノを他地域からの輸送に頼っているのが現状だ。だが、これからは「輸送エネルギー」についても見直すべきである。いわきの資源を活用し食糧自給率の改善を目指そう。さらに、裾野が広い住宅産業で木材、家具、建具などを軸にして地場産業を活用できると、経済復興への効果も期待できる。
自動車中心の生活スタイルも見直すべきである。これは、公共交通の充実化と平行して行う。通勤時に一人乗りの乗用車が道路を占有することで公共交通機関が麻痺しているのであり、時間帯によるバス優先道路(車線)整備と、工業団地などへのきめ細かな運行計画、大胆な料金設定など、公共交通機関の利用率を高める手法を導入してみてはどうだろうか。
職場と住まいが近ければ自転車の活用も可能である。長距離を快適に移動できるスポーツ車を利用すれば10km程度の移動は苦にならない。問題は道路整備である。市内には自転車レーンなど安全に走行できる道路が極めて少なく、道路整備、補助制度などマイカー依存度を減らす取り組みが進めば、四季折々の美しい風景を楽しみながら自転車での通勤ができる。これも、自然豊かな小名浜ならではのライフスタイルだ。
3−(1)いわきらしい街並の保存と再生
ボクたちは頻繁に町歩きをしている。古い町並み、工場、海、空、自然などを大切な友だちと共有することが楽しくてしかたがないのである。今回の災害は、つい3週間前にカメラ片手に自転車で走った小名浜から中之作漁港までの風景を無残な姿に変えてしまった。私たちは、港町を愛している。もちろん、それぞれの建物には所有者があり、それぞれの事情はあるだろう。しかし、均質化された建物が街を占拠し、街が個性を失ったとき、小名浜が小名浜である必要性はどこにあるのだろうか。この街に脈々と息づいてきた「歴史」こそを、引き継がなければいけないのではないか。
3−(2)港町の美しい風景の再生
奥尻島の津波から復興した街並は、そこがどこなのか分からない無国籍な風景だった。「ハウスメーカー」だけの責任にはできないが、「日本中のどこにでもある不思議な統一感を持った風景」を、彼らは作ってしまう。被害を受けた東北の港町には、それぞれ、その街にしかあり得ない風景があった。その全てが、無国籍な街並に塗り替えられるのを黙って見過ごしていいのだろうか。
古い港町が美しく見えるのは何故だろう。美しい地元の港町の風景には、大抵間口の狭い店舗付き住宅が並んでいる。そんな住む場所と働く場所がつながっている風景は、ベットタウンと呼ばれる新興住宅地の街並とは対極に位置する。そして、幸運にも、古い町並みの幾つかは震災に耐えて残っている。それらは町並み復興の鍵であり、シンボルである。建物所有者と対立するのではなく、皆が、「美しい町を守り育てていく仲間」と認めてもらえるよう、積極的なまちづくりへの参画を促していきたい。
3−(3)地域コミュニティーの核となる空間づくり
港町再建の鍵は、「職と住の一体化」ではないかと漠然と思っている。経済成長が見込めない時代であり、これまでの大量消費型の暮らしが持続するはずがないことは疑う余地がない。これまでの余暇を消費で楽しむ人生観は限界を迎え、徐々に地域社会に関わりをもち、行動することで自分の存在感を確認する時代に移行している。港町の全ての住まいが店舗を持つのではなく、住まいの一部を町に開き、ヒトと町がゆるく繋がる関係を築くのだ。港町は、ずっと昔から外に向かって開いていたのだから。
立案者:豊田設計事務所所長 豊田 善幸
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中島ノブヤ (水曜日, 30 11月 2011 12:58)
興味深く、拝読しました。地域単位のエネルギー的自立、ハイテクとローテクの融合、住宅性能をまず上げることで、「エネルギーを確保すること」から「エネルギーをなるべく使わない」方向への転換、オール電化になるべくしないように、夜間の電力需要はなるべく小さくなるように‥‥‥。など、示唆されている方向性は、少なくとも私のまわりの人の中ではかなりコンセンサスがあります。先日も、とあるビルダーさんが、経営指針発表の中で、すがすがしくも明確に言葉として「原発反対」今後「オール電化は採用しない」と明言されました。でも、世の中全体の流れとしては、なかなか大きく動いていかない。そこを課題と認識して知恵を絞っていきたいと思っています。
みなかわゆきのり (木曜日, 01 12月 2011 19:18)
建築家の発想です。社会学、地理学、経済学、大学3年生並の教養に欠けるのでは。
日本の都市計画は、建築家がだめにした。
環境に配慮した点だけは、評価できる。
quioquito (金曜日, 06 1月 2012 10:47)
小名浜出身、神奈川県在住のフリーライターです。いつか生まれ育ったいわきに戻って暮らしたいと思いつつ、変わり果てて寂れた港町に落胆してもいました。どうして小名浜は簡単にその土地らしさを捨ててしまったのか残念に思っていました。オール電化住宅が並ぶ、寒々しいニュータウン、活気を失った商店街、どこへ行くにも車移動で点と点でしかつながらないつまらなさ・・・。
3.11の震災は小名浜が生まれ変われるチャンスだと思いたい。小名浜が「美しい港町」かどうかは疑問ですが(笑)、少なくとも多彩な人の営みあってがいろんな意味で魅力的だった本来の姿を取り戻しながら、さらにこれからに向かう町になってくれればと期待します。
まずは理想。本当の意味でよいハコがあればそこで社会や経済は生まれ育っていくのではないでしょうか。
ペレットの利用、自転車専用道路の整備、食と住の一体化。実現すればステキだと思います!