INTERVIEW
大堀 功美子 Qumi OHORI
豊かな暮らしは小名浜の言葉とともに
オーストラリアでオーガニックな暮らしをしている小名浜出身の女性がいる。友人からそんな話を聞いて、強い興味を引かれた僕は、一時帰国中の彼女にインタビューを申し込んだ。ところが、彼女を連れて来てくれたその友人は、彼女と僕をカフェに残して1人外出。取り残された2人は、もちろんお互い初対面。なんの前触れもなく、このインタビューは始まった。
僕が彼女に抱いた第一印象は、「目が大きくて、透き通るようにきれいだなぁ」ということ。健康的に日焼けしたしなやかな体を、ナチュラルな服で包んだくみこさんは、心なしか緊張の面持ちだった。僕は、ろくな挨拶もせずにいきなり名刺を渡してインタビューを始めてしまった自分に、頭のなかでげんこつをひとつした。
さぁ、気を取り直して、まずは、彼女のことをざっくりと紹介しよう。彼女の名前は、大堀功美子さん。中学校では、なんと僕の先輩にあたる。大学を卒業後、単身オーストラリアへと渡り、今は、ゴールドコーストを拠点にオーガニックな生活を提案するコンシェルジュをしている。小名浜を飛び出し世界へ。聞いてみたいことは山ほどある。(その気持ちが、僕の中に焦りを生んで、なんだかくみこさんを緊張させてしまったのかなぁ)
―オーガニックとの出会い
「元々身体が弱くて、子どもの頃から肺炎を患ってたんだけど、大学4年の、もうすぐ卒業ってときに婦人科系の癌って言われて。卒業後、オーストラリアに行こうと決めてて、その準備もできてたのにホントにショックで、引きこもってた時期があった。『なんで自分が?』 って被害者意識が強くなっちゃって…」
「わたしは死ぬんだ」。その時は、そう強く思っていたらしい。そして、なかば開き直るかのように、「病院でもらう薬を飲んでいても助からないかもしれないって。それで、どうせ助からないなら別の方法を試してみよう」と思って、徹底した野菜中心の食生活へと切り替えたのだそうだ。
毎日のように、ガンに効き目があると言われる岩盤浴へ通い、にんじんとリンゴのすりおろしジュースを飲み、栄養価の高い玄米や根菜などを食べ続けた。藁にもすがる思いで始めた食事療法だったが、くみこさんの生きようとする力が目覚めたのだろうか、少しずつ効果が現れ始め、ついにはガン細胞が少しずつ消えて始めてしまったのだという。
しかし、喜びはつかの間で、今度は右胸に腫瘍が見つかった。「すっかり転移したんだと思って。なんで? もうすぐオーストラリアに行けるのに…。右胸がなくなったら大好きな海にもいけない…」。夢を前にしながら病気を克服できない自分の運命を恨んだ。
検査の結果、それはガンではなく良性の腫瘍で、幸運にも、その腫瘍は無事に摘出された。くみこさんの生きようとする力が、オーストラリアの地へとくみこさんを運んでくれたのだ。オーガニックな生活が定着した今では、何事もなかったかのように健康な身体を維持しているくみこさんだけれど、オーガニックな食生活は、まさに「生きるため」に選んだ最後の、最後の頼みの綱だったのだ。
―オーストラリアでの暮らし
そんな食事療法は、オーストラリアでも続けられた。「やっぱり身体が弱いから、オーストラリアでも風邪引いたり胃痛がひどいときがあって、病院でも薬をもらうんだけど、なかなかよくならない。それでもっかい食事療法やろうって」
オーストラリアで、また食事療法をやろうと思ったもともとのきっかけは、ゴールドコーストから南へ下ったところにある「バイロンベイ」という町を訪れたときだという。「バイロンベイって、信号機がひつもない。99年当時は観光客もいなくて、ローカルの人たちは、布一枚を身にまとって裸足で歩いてる。自然と共生してるな、って。太陽が昇る前に起きて、夕陽が沈むときに木に上って、今日一日ありがとうって。そう言える生活にすごく憧れて…」
バイロンベイは、エコがとても盛んな町だそうだ。ゴミを増やさないように食材も量り売りで、マイパックも当然。使った食器は新聞紙で拭いてから最小限だけを洗うのだという。そんな町でオーガニックに開眼したくみこさん。「オーガニック」について、こんな風に話してくれた。「オーガニックっていうのは、自分で手をかけるということだと思う。食べ物だって、自分で手をかけたからこそおいしいと思える。自分で育てた手作りのものってすごく贅沢。日本のおつけものだってそうじゃない?」
ちょっとの手間を惜しまずに自分で作るからこそ価値がある。オーガニックと言うのは、単に「無農薬野菜」を意味する言葉として知られているけれど、くみこさんにとってのオーガニックとは、まさにライフスタイルそのものなのだ。
豊かな自然に囲まれ、その自然に魅せられる日々。くみこさんの心と体も変わっていく。
「オーストラリアは、世界有数のオーガニック先進国。だから、オーガニックな食材がすぐ手に入る。せっかくだから、ここでオーガニックな食生活をつきつめてみよう」。そんな風にして、日に日にオーガニックな食事にハマっていったという。今では肉や卵も、身体が受け付けなくなってしまったのだとか。「マクロビオティックって聞いたことある? 今はダイエットとして考えられてるけど、もともとは病気のために考案されたもの。免疫力がすごく高まるから、風邪をひかなくなった」
目の前のくみこさんは、かつて病弱だったとは思えないほど、若々しくて生き生きとしている。(正直、僕の先輩だとは思えない) ますますその大きな瞳に吸い込まれそうな気分だ。「オーガニックに出会ってなかったら生きてなかったかもしれませんね」と聞くと、「病気になってオーガニックに出会ったから、病気に感謝してる」とくみこさん。本当にしなやかで強い女性だなぁと思った。
―オーガニックが生んだ変化
人間は毎日何かを食べる。生きるために食べるのだ。そして、食べたものが、身体を作る。オーガニックなものを口にすることで、くみこさんの身体は変わり、心にまで大きな変化をもたらすことになる。
「世の中で一番嫌いなのがクモだったんです。でも、クモが触れるようになった。わかんないけど、自然を大切にしようと思うようになって、クモも生き物なんだなって思うと殺せなくなっちゃって」。くみこさんはそう笑って、自分の心の中に起きた変化を説明してくれた。一言でいえば、「食べ物を変えただけなのに、生き方すべてががらりと変わった感じ」なのだという。オーガニックな暮らしが、ここまで大きな変化をもたらしたのだ。
その変化は、「ふるさとを見る目」にも影響を与えた。「オーストラリアに行く前と行った後では、見える景色がぜんぜん違う。18歳までしかいわきに住んでなかったから、昔はそこまで目を向けてなかったけど、今では細かい部分まで目を向けられるようになって…。いわきって緑がすごくキラキラしてる」
大学を卒業する頃、あれほどオーストラリアに行きたくてしかたなかったのに、今は「ちょっといわきにも帰ってきたい。やっぱりいわきに、2、3年でもいいから長く住んでみたい」と思うようになった。「オーストラリアも海がきれいだけど、いわきの海ってまた違う感じだから。あっちで知り合った友だちがいわきに遊びにくると、みんなリピーターになっちゃう。食べ物もおいしいし、海もきれいだし、山も温泉もある。『なんでこんなにいいとこがあるのにオーストラリアに住んでるの?』って言われる」
ふるさとを語る言葉に、なんだか僕もうれしくなった。そんな風にくみこさんの心に刻まれているいわきの緑。そして、小名浜の海の青。「もう毎日思い出す。家族や友だちや、海や山も」。くみこさんの言葉を聞くにつれて、さっきまで2人を覆っていた緊張は和らぎ、僕の心も穏やかになっていた。
―小名浜ことばとオーガニック
インタビューをはじめてから1時間。充実した時間は速い。
はじめからうすうす、というか、はっきりわかっていたんだけれど、くみこさんが話す日本語が「訛って」いることに、ずっと心がほっこりとしていた。インタビューの記事ではわかりづらいかなぁ。でも、くみこさんの話す言葉は、生粋の「小名浜弁」なのだ。最近では、ゴールドコーストでの取り組みが、日本の旅行代理店や旅行サイトなどに取り上げられることもあるというのに、そこでも語尾上がりの「小名浜弁」。
「撮影で、ゴールドコーストのこととか説明したりするんですけど、訛りが抜けなくて、それでもディレクターさんやプロデューサーさんはそのままでいいよって言ってくれるし」。「小名浜弁を変えようと思ったことってないんですか?」と聞いたら、くみこさんは僕の目を見て「小名浜の言葉には誇り持ってるから」ときっぱり。
くみこさんの瞳が美しいのは、「オーガニックな食生活をしているから」だけではなく、「あるがまま」にしかならない「あるがまま」を、その瞳や心の中に残しているからだろう。これまで、辛いこともたくさんあっただろう。それなりに年齢を重ねれば、大人の事情や社会のしがらみが「垢」のように溜まっていたっておかしくはない。けれど、くみこさんはいつだってナチュラルなのだ。「オーガニック」というのは、もしかすると、余分についてしまった何かを洗い流してくれるものなのかもしれないと思った。
最後に残ったのは、小名浜で生まれ育った自分。オーガニックな暮らしを通して、くみこさんはシンプルな「あるがまま」の自分と再会することができたのだろう。そう考えたら、僕が今までインタビューをしていたのは、オーストラリアのオーガニックコンシェルジュではなく、「小名浜のくみちゃん」なのだと思えて、少しだけ、肩の力が抜けた気がした。
今回は初対面でお互い緊張もあったけれど、次の機会にはきっと、くみこさんに、もっといいインタビューができそうだ。夕陽が赤く海を照らすゴールドコーストの浜辺で、その何とも言えない小名浜の言葉を聞ききながら、ゆっくりとインタビューできたらいい。
小名浜の海でもいいかなぁ。波の音が聞こえる砂浜? それとも、港のベンチ? そんな妄想を膨らませている僕を尻目に、くみこさんは紅茶を一口。「くみこさん、ほんとに目がきれいだなぁ」。おいしそうに紅茶を飲むその顔を見て、僕はまた、そう思った。そして、豊かな暮らしの中に生き続けるくみこさんの「小名浜弁」が、ちょっと、うらやましく思えた。
text & photo by Riken KOMATSU
profile
大堀 功美子 Qumi Ohori
1976年、いわき市小名浜生まれ。地元の高校を卒業後、奥羽大学へ入学し英語教師を目指す。大学卒業後、語学留学のためオーストラリアへ向かう直前、婦人科系の癌とわかり食事療法と自然療法で克服。その後、右胸に腫瘍が見つかるも単身オーストラリアへ。オーストラリアでオーガニックなライフスタイルに開眼し、現在は、マクロビオティックを中心に、オーガニックな暮らしを提案するオーガニックコンシェルジュ、アロママッサージセラピスト、ビューティーセラピスト、大豆キャンドル作家として活躍中。オーストラリアの永住権を得た現在は、自給自足の生活を目指し、農業の勉強中だという。
blog : オーガニック@Qumi style
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