FEATURE
代々木と小名浜の手と手のものがたり
ある日やってきた1通のメールで、東京の代々木に、TetotEという雑貨のお店があることを知った。あなたが今見ているこのウェブサイトの名前も、同じ「tetote」。2つの「てとて」の間には、何があるのだろう。代々木と小名浜の手と手を繋ぐために、東京へ向かった。
—こんにちは。初めて、メールさせていただきます。東京の代々木で今年の春より、新しく雑貨屋を始めた葛原信太郎と申します。その雑貨の名前がTetotEといいまして、偶然、小松様のウェブマガジンと同じ名前なのです—
僕のメールボックスにこんなメールが届いたのは、今から2週間くらい前のことだ。突然のメールに運命めいたものを感じて、僕は思わず「取材をさせて欲しい」とお願いをした。ぶしつけだったのはわかっていたけれど、同じ名前の雑貨屋さんに、言いようのない運命を感じてしまったからだ。数時間後やってきた僕への返信メールには、「日曜日はお休みなのですが、開けます」というメール。葛原くんはきっと、そういう人で、だからTetotEなんだろう。勝手に「てとての運命」を思い浮かべながら、僕は東京へと向かった。
真夏の東京を走る山手線。代々木駅を下りると、灼熱がアスファルトから浮かび上がり、道行く人たちが汗を拭いながら行き交っていた。僕は、背中をじんわりと流れる汗を感じながら、少しだけ他人行儀にオフィス街を抜け、小さな通りをひとつ右に入る。ちょうど、路地が細くなった歩道の左側にTetotEと書かれた雑貨店見つけた。
中へ入ると、ハーフパンツに淡いブルーのシャツを着た葛原くんが出迎えてくれた。メールで何度かやり取りをしていたせいか、始めて会うのに、お互いなんとなくニヤニヤしてしまった。昔から仲間だったんじゃないか。そんな不思議な思いを抱きながら、少し照れ笑いをして会釈をし、僕たちは握手を交わし、また笑いあった。
本、生活雑貨、アクセサリー、アート作品。
決して広いとは言えない店内に、葛原くんのこだわりが見え隠れする。
それは、商品のタグに書かれた4つのキーワードに象徴されている。
ART、WORLD、NATURE、そして、CONNECT。
この4つのキーワードが、TetotEを貫くコンセプトになっているのだ。
おすすめのアイテムは何ですか? と聞くと、このペンダントだと教えてくれた。これは、障害を持つ子どもたちと一緒に絵を描き、その絵を細かく裁断した上で木材に貼り付けたものだという。だから、みんなが買っていったペンダントは、もともと1つなのだ。アートはみんなを1つにしてくれる。そして、みんなを楽しくしてくれる。言葉も障害も、肌の色も超える。葛原くんはARTの力を信じているからこそ、一番のおすすめにこれを紹介してくれたのだろう。
ゾウのふんから作られたスケッチブックや、遠い南半球から取り寄せたお茶、名もなきクリエイターが作った音楽、そして、様々な人たちの人生を閉じ込めた本。TetotEに溢れる物たちは、世界中(WORLD)にいる人やモノと自分を繋げてくれる(CONNECT)。
その多くは、言語や文化を超える芸術(ART)作品であり、ダイレクトに自然を感じることができる(NATURE)ものでもある。ここは、世界の人たちと手と手を繋ぐ場所なのかもしれない。
—どうして雑貨のお店を開こうとしたんですか?
もともと、大学時代から「共有空間」という名義で、絵を描いたり踊ったり、パフォーマンスの活動をしていたんです。ダンサーやビートボクサーの友人たちと一緒に、障害者の施設などでダンスのショーをやったりもしてました。そのときの雰囲気が、すごくあったかくって、それを大きくしたいと思うようになって、それで何かスペースを作ろうということになったんです。もともとは去年の春に就職してシステムエンジニアをやっていました。でも、やっぱり自分たちの拠点を持ちたいって気持ちが強くて、雑貨屋を開きました。
—会社を辞めたり、お店を開くには大きな決断だったと思うけど、それを突き動かしたのは何だったんですか?
大学時代のときからずっと国際ボランティアを目指してたんです。途上国の人に何らかのサービスがしたいってずっと考えてましたね。システムエンジニアの仕事も、いつかこの分野で途上国の人たちに役に立てられるかもしれないって思ってましたし、プログラミングもたくさん覚えようとがんばりました。
ところが、去年、僕の相棒っていうか、同期で仲良くしてた人が急に亡くなってしまったんです。僕がいた会社は、新入社員が200人もいて、同じセクションに配属されたのはたった8人しかいませんでした。彼とは色んなことを語り合って、すごく仲良くなったんですけど、体調がよくない、長期的に休むかもしれないって、そんな言葉を最後に、亡くなってしまいました。
ショックで、本当にショックで、僕は彼の死を通して、何を学ばないといけないんだろうって、彼の死を無駄にしちゃいけないって、真剣に考えたんです。
—その相棒の死は、葛原くんにどんな影響を与えたんですか?
自分は、「いつか役に立てたい」って今の仕事に就いたけど、その「いつか」っていつなんだろうって。彼と「来年はこんなことがしたいね」なんて将来の話をしてたのに、彼は来年を迎えることができなかった。何って言うのか、「不確かさ」って言うんですかね。人生って、本当に不確かなんだなって思い知らされました。僕が考える「いつか」って、いったいいつなんだろうって、何度も考えました。
今のままじゃいけない。そう何度も何度も思ったんですけど、結局、勇気が出ませんでした。自分の思いも、少しずつうやむやになっていって、わけがわからなくなってました。そんなとき、高橋歩さんという方が書いた「旅学」という本を読んだんです。その中には、若者が夢を語り、自分自身を広告するページがありました。そこでは、自分と変わらない年齢の人たちがアツく夢を語って、自分に融資してくれって、叫んでるんです。
電車の中で読んで、思わず心がアツくなりました。俺は何してるんだろうって。俺と同じくらいの年の人たちが、こうやって夢を語って、どんどんやってるじゃんって。その電車は、東京駅から出発した京葉線だったんですけど、その本からふと顔を上げたら、車窓から見える景色が、海までスカーッと開けてたんです。ほんと、涙が出るくらいクリアできれいで、今このタイミングでこの視界の開け方って、何なんだろうって。やれってことじゃないかって確信して、すぐ会社に辞表を出してしまいました。
—なぜTetotEという名前を?
世界中のいろいろな人たちの手と手を繋ぐきっかけを作りたいと思って、この名前にしました。まだ行ったことはないんですけど、こうして小名浜にもtetoteがあることを知って、なんか少し不思議な感じがしますね(笑)。同じ名前だと、かぶっちゃったなぁって少しイヤな気持ちになるかもしれないのに、なぜかそういう気は起きませんでした。
今、こうしてりけんさんとお話しできて不思議だけど、「TetotE」という名前だからこそ、出会いの大切さみたいなものに敏感になることができたのかもしれない。やっぱり、人と人の出会いって大事じゃないですか? そのきっかけに、この店がなれたらいいですね。
ずっと笑顔を絶やさず、訥々と、でも確かな熱を一言一言に込めながら語る葛原くんに、僕はいつの間にか一緒になって夢を語ってしまった。夢を叶えようとしている人は、こんなにも誰かにエネルギーを与えることができるんだ。
確かに、この店は世界と繋がるものが溢れているけれど、一番のウリは、もしかすると、葛原くんと夢を語ったり、いろいろな話をすることを通して、自分の夢や希望と手を繋ぐことができることなのかもしれないと思った。
これまで世界中でボランティアやフィールドワークを重ねてきたと言う葛原くん。ボランティアへかける情熱も並々ならぬものがあるはずなのに、押し付けがましくなく、透き通るような新鮮な風を、僕たちの心に吹かせてくれる。そう、葛原くんがあの日見た、まっさらな海と空に吹いていたであろう、風を。
葛原くんの視線の先には、今もずっと、あの風景が見えているに違いない。そして僕の目の前には、ふるさとの小名浜の海が映っている。その瞬間、代々木と小名浜という、遠く離れた2つの街の見えない歯車が、ガチッと音を立てて回り始めたような気がした。心の中の景色に、ビューっと音を立てて風が吹いた。
きっと、世界中の手と手はこうして繋がっていくんだ。「代々木のTetotE」も「小名浜のtetote」も、そんな奇跡を共に目指している。そうだよね? 葛原くん。
profile
葛原 信太郎(くずはら・しんたろう)
1986年、横浜市生まれ。明治学院大学在学中、モンゴル、タイなどでボランティア活動をしたり、NPO法人の副理事長をつとめるなど積極的に活動。卒業後一般企業に就職するも、独立し、2010年4月10日に雑貨屋を開業。目標は、5年後に世界一周に行くこと。
information
TetotE by 共有空間
〒151-0053
東京都渋谷区代々木1-18-13
03-6362-3553
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