FEATURE
川西遼平が残していったもの
会場に集まった市民の温かい拍手で幕を閉じた「「LONDON-FUKUSHIMA Project」。1枚の布からロンドンと福島を繋ごうという壮大なプロジェクトを終えた川西遼平は、現在は制作拠点であるロンドンへと戻り、そのロンドンで福島での出来ごとを伝えようとしている。いわき滞在。そして、子どもたちとの交流。閉幕から1ヶ月を経て、川西は語り始めた。
「ほんとに楽しい1ヶ月でした。関わってくれた人みんなのおかげで、チャレンジは大成功だったと思います。デザイナーって裏側で1人ひとり送り出す立場だから、表で何がどうなってるかわからない、見えないんですよ。だから、皆さんが “よかった” と思ってもらえたら、それで成功だと思います」。五輪真っ最中のロンドン、というのもあったのかもしれない。スカイプの画面上の川西はいつもどおりの笑顔で、明るい声はいわきにいたときと変わらなかった。
いわきでの、怒濤の日々。平日は子どもたちとのワークショップに臨み、いわき中を飛ぶように子どもたちと接してきた。夕方になると銭湯で汗とペンキを洗い流し、小名浜のアトリエへ戻ったら朝まで徹夜の制作。それを開口一番「楽しかった」と振り返る川西のバイタリティに驚嘆する。
—プロジェクトをふりかえる
「LONDON-FUKUSHIMA Project」とは、ロンドン在住のファッションデザイナー川西遼平が、ロンドン市内の小中学校などで子どもたちと制作したテキスタイルをいわきに持参し、いわきの子どもたち一緒に服を作りファッションショーを行うことで、ロンドンといわきをつなごうというプロジェクトだ。ロンドンからいきなりいわきにやってきて何ができるのか。当初はそんな心配もあったが、周りの声は杞憂に終わり、川西たちはよく練りあげられた企画に底抜けの明るさと熱意を織り合わせ、見事、プロジェクトを完遂した。
「プロジェクトを支えてくれたMUSUBUのお二人、それからアトリエのスペースを使わせてくれてUDOK.の皆さん、たくさんの方に助けてもらって、ほんとにいいプロジェクトになったと思います。子どもたちとの交流もすごく楽しかったし、その交流の中で、あれだけの服とあれだけのショーができたわけですから、本当に感謝の気持ちです。今はロンドンでの展示目指して準備を整えてるんですが、いわきでのプロジェクトからもう1ヶ月以上も経ったのかって、不思議な感覚ですね」。
—なぜファッションなのか
ロンドン芸術大学セントマーチンズ在籍時代から、社会問題をファッションの文脈で練り上げ、作品化することで高い評価を受けてきた川西。パレスティナ問題を取り上げた卒業制作は、Vogue、Telegraph、Guardian、New York Timesなどの有力紙で紹介されるなど、新進気鋭の作家として知られている。1人の東洋人がパレスティナをファッションで語ってしまう。その衝撃は、イギリスを少なからず驚かせたに違いない。
「商品を作って売っていくファッションには全然興味がない」と公言してはばからない川西。それでは、なぜ「アート」ではなく、なおも「ファッション」の領域で表現しようとするのか。それを聞くと、「アーティストとしてより、ファッションデザイナーとしてできることのほうが、僕にとってはやりやすいし、やりたいことに近い」のだという。
「ファッションの世界だと、最後には作った作品を『ショー』として見せる。その見せ方がいいんですよ。ワークショップをして、作品を作って、それだけじゃなく最後の最後にハッピーなショーをやる。その一連の流れが、僕にとってはベストの表現方法です。ショーという見せ方、見え方は、ジャーナリスティックな映像などと全然違いますしね。やっぱり、人とつながることや、コミュニケーションを通じて作品を作ることが好きなのかもしれません」。
「人の中で作られる作品にこそ価値がある」。これは、川西が常に語っていた言葉だ。「やっぱりその場所の中に生きている人が関わるからこそ、作品としての価値が高まると思うんです。福島であれば、放射能の問題、汚染の問題、これから原発をどう考えるのか、災害をどう考えていくのか。福島の人たちと一緒に作品を作ることで、いろいろな問題が文脈として作品に込められていきます。それに、作品を子どもたちと作ることで、“未来” という要素も盛り込めたように思えます。もちろん、ショーでの生き生きとした子どもたちの表情も。みんなで作ったもの全部で、1つの作品なんですよ」。
—福島での表現を考える
ワークショップでは、子どもたちと遊んでばかりだった川西。最低限のルールだけを子どもたちに示したら、後は子どもたちに放り投げてしまう。もちろん、それを縫い合わせる作業は毎晩徹夜だったが、「こだわり」のようなものは捨てて、子どもたちと一緒に笑いながら、子どもたちが作るものを受け入れていく川西たちの姿がとても印象に残っている。こうしろ、ああしろと言われない、いわば「即興」の寛容さの中で、子どもたちは自由に描きたいものを描き、作りたいものを作る。だからそこには、あるがままの福島が保存されていく。
福島のために。福島を元気にしたい。そんな言葉を一言も言わず、子どもたちとただ楽しみ、遊んでいくなかで子どもたちの感性を引き出していった川西。夜、子どもたちがもっとも輝くようにと、あれこれ思案しながら服を仕上げていく姿は、ファッションデザイナーというより、職人気質の「仕立て屋」という気がした。たった1回のショーでも、その服を着る子どもたちにとってはかけがえのない大舞台だ。1着1着の服を仕上げる、その先にあるものを川西はいつも見つめていたのだろう。
「人と繋がって、何かを一緒につくっていく。そこで生まれてくるものを作品にするのが好き」。そう語る川西。その言葉には、福島で表現に携わろうという人間が進むべき1つの方向性が示されているように思う。これからの福島に必要な表現者は、「アーティスト」という類いの人間ではなく、ショーが終わった後にひょっこり出てくるような「ファッションデザイナー」のような存在かもしれない。川西とのインタビューを終えて、そんなことを考えている。
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emi (月曜日, 03 9月 2012 20:32)
Facebookで初めて川西さんのこと、いわきでこのようなショーが行われたことを知りました。
子供と未来、いわきで生きていく未来を、強く生きていかなくてはいけない人たちを笑顔にさせ、希望と愛を与えるプロジェクトですね。
子供が笑顔になると希望を感じます。大人も笑顔になれます。
ロンドンといわきを繋げる今回のプロジェクトは、いわきの子供に大きな希望を与え、ロンドンの子供たちにも必ず大切な出逢いになると思います。
私はいわき市出身で今は埼玉在住です。今も家族・友人がいわきで暮らしています。表現者を志す身でありながら、何もできていない自分がいますが、今回の川西さんの活動を知り、感謝の気持ちと川西さんの表現への姿勢に心惹かれメールをさせて頂きました。ロンドンでの展示も楽しみにしています。