FEATURE
中之作プロジェクト「清航館」の1年
被災した築200年の古民家を修復することを通して、地域のコミュニティや家づくりを考えていこうという「中之作直してみんかプロジェクト」。まわりの反対を押し切り、プロジェクトが建物を購入してから、1年が経とうとしている。震災の風化に抗いながら、古民家修復という極めて専門性の高い領域に市民を呼び寄せ、古民家の価値を発信してきたこの1年。同プロジェクト主宰の1人、豊田千晴に、あらためてその1年を振り返ってもらった。
―これまで1年間、さまざまなワークショプが開催されてきましたが、今回の土壁づくりワークショップで、今年のイベントも終了ですね。建物の購入から1年になりますが、改めてどんな1年でしたか?
はい。今年はあと1回、いわき駅前のラトブで行うワークショップが残されてるんですけど、中之作でやるワークショップは今年はもう終わりです。2011年の8月に「中之作プロジェクト」が設立されて、11月にこの建物を購入したんですが、それから1年になります。この1年で一番変わったと思えることは、とにかく知り合う方が増えたということですね。遠く県外から、最近では名古屋から来てくれた方もいて、この中之作を見てもらえたことはほんとうにうれしいです。来てくれる人がこの土地のいいところを発見してくれるので、私自身も、中之作という町の魅力にたくさん気づくことができました。
―この家のワークショップには、ほんとうにたくさんの人が集まってきますね。ただ建物としてあるだけでなく、ワークショップの開催がさらなる人を呼んで、中之作という港町のコミュニティの起点になっているような気がします。
最近はようやく、近所の方たちとの交流が増えてきました。たとえば、近所のおばさんたちが散歩しながらここを見にきてくれて、「作業が進んだね」とか、「壁がきれいになったね」とか言ってくれるんです。ワークショップなどを始めた頃は、何をされるんだろうと警戒されていたような気がします。でも、最近は主要なメンバーの顔も覚えられたせいか、地元の人たちと外から来てくれた人たちとの交流が少しずつ生まれてきています。やっぱり残してよかったって思えるのは大きな進歩ですよね。
―確かに震災直後はさまざまなプロジェクトがありましたね。1回きりのものもあれば、今でも長く続いているものもある。地元の人の警戒も当然のことですよね。そんななかで、中之作プロジェクトは「継続」してきたからこそ地元の理解が深まり、地元の人たちと一緒にコミュニティを作ってこられたんじゃないでしょうか。
はい。1年やってきたからこそ、少しずつ理解してくれたんだと思います。最初は私たちも遠慮があったのかもしれません。でも、こうして実際に話を聞いてみると、津波や解体によって中之作の建物が少なくなってしまったことについて、みなさんも寂しく感じているんだとわかりました。残せるものなら残したいし、人の賑わいが生まれればやっぱりうれしいんだと思います。
こうして外から来てくれる人が増えれば、少しずつでも町に活気が戻ってくるんじゃないかと思います。県外の取り組みなどを見ると、古民家の修復というのは「観光」とも結びつくことがあるのですが、外からの人だけではなく、やっぱり近所の人たちが喜ぶような建物にしたいと改めて思いますね。
―千晴さんはニュータウンの出身ですよね。ニュータウンに比べれば、中之作はよくも悪くもコミュニティの緊密な場所だと思います。古民家修復に関わることになって感じたことや、そこで得たものなどはありますか?
そうです。実家は中央台(いわき市中央部の高台のニュータウン)です。今までは、そこでの暮らしを当たり前のものだと思っていましたけど、やっぱり震災を経験して考え方が変わりました。震災直後は、隣近所の人たちが、いるのかいないのか、避難しているのか、ぜんぜん情報がない状態でした。隣に誰が住んでいるのかさえ、よくわからないような町だったんです。
普段からの近所付き合いというのもそんなに多いわけではないので、震災直後に小名浜で行われた炊き出しに行かせてもらったとき、地域の方々が積極的に参加されていたのを見たときは驚きました。こういうことができる地域とできない地域があるんだなと。こういう人間関係がやっぱりいざという時には強いですよね。
―その炊き出しは、小名浜のリスポで行われたものですよね。たしかリスポの次は、諏訪神社で炊き出しを行ったと思うんですが、やはり古い町には寺院や神社などがあって、そうした場所が「みんなが集まる場所」として機能しました。特に震災直後はそうでしたね。
祈りの場、ということでもあると思います。中央台は歴史が浅いこともあってお寺や神社がありません。一方、中之作など昔からある町はそのへん至る所に「氏神様」が祀られていたり神社があります。小さい頃から、そういう場所で「手を合わせて祈る」という習慣が染み付いているんです。平和なときには感じませんが、震災で多くの命が失われたというとき、周りに神様がいるんだという感覚がすごく重要だと感じました。祈りの場があることで癒されるものがあるんじゃないかなって。
実は清航館にも大きな神棚があるんです。すごく精巧に作られていて、200年前の大工さんの気合というか、熱意を感じました。きっと、そこに親族たちが集まって祈りが捧げられたと思うんです。家を建てるときには、近所の人たちを呼んで地鎮祭や起工式も行われたでしょうし、「祈りの場」がコミュニティの起点になってきたはずです。
だから、こうして昔ながらの神棚を守ることで、例えば、清航館に来た人たちが神棚の前で家族の健康を祈ったり、仲間の成功を祈ったり、お正月に一年の目標を誓ったり、祈りの空間を共有することができます。私のようにニュータウンで育った人もいると思うので、祈りの場から考えるコミュニティというものも考え続けていきたいですね。
―ほんとうにすばらしい神棚ですよね。もちろん、神棚だけではなく、いろいろなところに、200年前の職人たちの技術が集約されています。そうした技術を垣間みれるのは、ほんとうに貴重なことですね。
そうです。そこが、みなさんに感じてもらいたい大事なポイントです。今回のワークショップでは、壁の素材となる土壁をつくる際に用いる縄をなうところから始めました。それが今年の6月なんですが、10月になってようやく土壁の「下地づくり」が終わりました。6ヶ月もやってきたのに、まだ下地でしかないんです。
現在の住宅の多くは、30坪、40坪という規模でも、早ければ3、4ヶ月でできてしまいます。でも、本来住宅というのはもっと時をかけてじっくりと建てられるものだったと思うんです。手間ひまかけて作るから、その家に思い入れも生まれるし、なんとか壊さずに守りたいと思うんじゃないかって。みんなで作るからみんなが愛着を持ってくれる。地域の人たちに愛されれば、次の世代の人たちも、この家も守り続けてくれるんじゃないかと思います。
―千晴さんは高校でも建築を学んできましたよね? そして今は2級建築士として、夫でもある豊田善幸さんのサポートもしている。いわば専門家です。それなのに、200年も前の家に手こずっていたりする。昔の家がすごいのか、今の家がすごいのか、よくわからなくなってきますね。
ほんとにそうです。今までやってきたことが通用しないので、自分は何を学んできたのかって。ほんとうに手間ひまをかけて作られていたんだなって思わされました。土壁塗りだって、ほんとに難しくて少しやっただけで手が疲れちゃいますし。今の住宅は、家を作る過程に施主さんはあまり関わりませんよね。専門家だけで家を作っていく感じです。でも、昔の家は「結(ゆい)」という地域のコミュニティが作ってきました。あの家では壁をつくった、あの家では瓦を載せたというように、少しずつ誰かの家づくりに関わっている。だから、地域全体を自分の家のように感じて愛着が持てるんだと思います。中之作でも、ワークショップとして体験することで、地域に対する愛着も感じてもらえればと思っています。
それから、素材について言えば、清航館では瓦も建具も柱も、被災して解体の決まった住宅から引き継いで再利用しています。土壁に使った土も一部は再利用です。昔の家って、家全体が自然素材でできているから再利用もできるし、ゴミを出しません。昔の人たちのほうが自然と寄り添う暮らしをしていたんです。古民家を守っていくということは、建物を引き継ぐ、ということだけでなく、こうした「価値」や「考え方」も引き継ぐということだと思います。毎回毎回、学ばされることばかりです。
―来年はNPO法人の設立を目指すと言うことですが、どんな運営を心がけていきたいですか? 抱負などあれば教えてください。
そうですね。大きな動きとしては、来年度からNPOとしてやっていくということがあります。今その設立準備をしているところです。現在は豊田個人の建物となっていますがNPO法人設立後はNPO法人に譲渡し、地域のシンボル的な建物にする予定です。古民家修復の当初の計画は3年計画で、来年も地道なワークショップが続くので、飽きさせないようなイベントをみんなで考えていきたいですね。
実は、福島出身のデザイナー、キャッサバさんにかわいいパンフレットも作って頂けました。すごくいいパンフレットを作ってくださってほんとうに感謝してます。こんなふうに、プロジェクトで出会った人たちと来年もいろいろな面白い取り組みができればと思います。個人的には? ですか? う〜ん、まあ内助の功というわけじゃないですけど、暴走しがちな所長(豊田善幸氏)を妻として支えて、プロジェクトを盛り上げていければと思います。
—地区ごとに地元意識の強いいわき市では、地元以外の地区に入る際、(同じ市民でありながら)ソトモノとして地域に入らざるを得ない。当然、被災した記憶を持つ建物を残すためのプロジェクトに対し反対の声もあった。しかし、200年の「価値」を訴え続けてきたことが地元の人たちの心を動かし、今、清航館は中之作の新たなコミュニティの核として機能し始めている。東北の小さな港町で産声を上げたプロジェクトの2年目が、今から楽しみでならない。
profile
豊田 千晴
1982年福島県いわき市生まれ。二級建築士。豊田設計事務所所属。
information
中之作直してみんかプロジェクト祭り
日時:2012年11月25日(日)
会場:ラトブ6階企画展示ホール
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