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僕が青学の講義で話したかったこと

posted on 2011.5.31


 

−個性が集う、UDOK. 

 

1人で始めた tetote も順調にアクセス数を伸ばしていったが、ウェブマガジンというネットの空間だけでは物足りなさを感じ始めていた。皆が集まれる場所。それが必要だと考えた。皆の作業場でもあり、会社帰りにふらっと立ち寄れる部室のような場所でもあり、いつも誰かしら仲間がいて、つねに何か新しい物事が生まれるような胎動のある場所。

 

そんな話を、ツイッターを通じて知り合った小名浜在住の丹洋祐くんに相談した。大学・大学院と建築やデザインを学んでいたこともあり、丹くんは僕が考えていることを瞬時に理解し、さまざまなアイデアを提供してくれた。「僕たちがつくりたい理想のスペースとは?」 毎晩のようにアイデアを出し合い、互いの意見をぶつけた。

 

その甲斐あって、震災でオープンが危ぶまれたものの、20115月1日、小名浜本町通りに「UDOK.」というオルタナティブスペースをオープンさせることができた。UDOK. という名前は、「晴耕雨読」という言葉からとった。昼間の本業を「晴耕」、本業のあとの部活動としての「雨読」と定義し、その「雨読」を楽しむためのスペースというコンセプトを目指している。

 

それぞれがそれぞれの「晴耕」を終えた平日の夜、UDOK. にはさまざまな人が集まってくる。これまでにインタビューをさせてもらった人や、フォトグラファー、アーティスト、建築家など、クリエイティブに携わる人、地元の高校生もたびたびやってくる。実際の空間をまちなかにしつらえたことで、いつの間にか人が集まるようになっていた。

 

そして、そんな仲間たちと、震災後のビジョンを自らが発し、実践していこうという「小名浜復興計画」を立上げた。建築家の豊田善幸先生が原案をつくったもので、エネルギー問題や省エネ、まちづくりなどの具体的なビジョンが記されている。UDOK. では「こんな小名浜に暮らしたいんだ会議」を主催し、この計画を、仲間たちと掘り下げることにした。

 

 

震災後の5月1日に小名浜にオープンしたオルタナティブスペースUDOK.
震災後の5月1日に小名浜にオープンしたオルタナティブスペースUDOK.
小名浜にゆかりのある人たちで復興ビジョンを話し合った「こんな小名浜に住みたいんだ会議」
小名浜にゆかりのある人たちで復興ビジョンを話し合った「こんな小名浜に住みたいんだ会議」
建築家の豊田善幸氏の手がけた住宅に展示された丹洋祐氏の作品。これも、地域のコラボレーション。
建築家の豊田善幸氏の手がけた住宅に展示された丹洋祐氏の作品。これも、地域のコラボレーション。


−「個」があるからつながれる

 

この計画の特徴的なスタイルは、それぞれが得意とする分野を「担当大臣」のような形で掘り下げていくこと。建築家は「省エネのいえづくり」や「景観」を、イベンターや広報経験者は「風評被害対策」を、行政学を学ぶ学生は「住民自治のシステム」を、というように、それぞれの「個性」が復興案の立案に活かせる形を意識した。

 

ここで大事なのは、それぞれが何かしらの「個性」や「職能」を持っていて、だからこそ「つながり」が生まれ、「まちづくり」に発展するということではないだろうか。自分ができることで誰かを助ける。助けられたほうは、今度は誰かを助けてあげたいと思う。そうやって、コミュニティが作られ、「つながり」が生まれていくのだ。

 

こんなことがあった。前述の豊田善幸先生が手がけた住宅の展覧会で、丹洋祐くんのドローイング作品を展示したのだ。作品を展示することで住宅見学会の独自性が高まるとともに、作品をたくさんの人に見てもらうチャンスにもなる。お互いに個性があると、その組み合わせいかんで、これまでにないコラボレーションが生まれる。その好例である。

 

自分には個性がないと考える人には、前のページでも触れたが、インタビューなどを通して、その人にしかない価値を引き出す。あるいは、イベントなどを手伝ってもらい、「誰かの役に立つ」ことを通して、自分の存在意義を感じてもらうのもいいだろう。とにかくいろいろなことに巻き込んでいくことで、その人に眠る感性やセンスを見つけていくのだ。

 

あとは、自分のウェブマガジンを利用して、その人の「個性」をさらに磨いていけばいい。メディアの作り手が自らイベントを企画したり、別の誰かとコラボする機会を設けたりすることでさらに価値を高め、それをまたウェブマガジンの記事にしていく。「ウェブマガジン」と「地域のつながり」の両方を充実化できれば、一石二鳥だ。

 

 

高校生アートユニットの結成をプロデュースしたときには、いわき市平でデビューエキシビジョンを企画した。
高校生アートユニットの結成をプロデュースしたときには、いわき市平でデビューエキシビジョンを企画した。
震災前は、永崎海岸で朝ヨガを企画。新たなつながりを模索した。ぜひ今年も開催したい。
震災前は、永崎海岸で朝ヨガを企画。新たなつながりを模索した。ぜひ今年も開催したい。

 

−自立とつながりの不思議な関係

 

田舎では、なかなか取材対象が見つからず、メディアの立ち上げを断念してしまいがちだが、そうではない。モノはなくとも「ヒト」がいる。地域の人たちに眠る才能を、自分の視点を活かして発掘し、磨き上げ、自立を促す。そこにモノが生まれ、コラボが連鎖し、つながりが太くなっていくのだ。それも「コミュニティデザイン」の1つではないかと、僕は解釈している。

 

自立した人は、その個性で誰かを助けられる。そして今度は誰かに助けてももらえる。社会では、誰も1人では生きていくことはできない、だからこそ、確かな「個」として自立を目指すことで「つながり」を生み、「よりよい人生」を作っていくのだ。個を磨くのは、みんなで生きていくため。そう考えられないだろうか。

 

地域に暮らす人たちが個性を発揮し、また別の誰かとつながり、少しずつ地域が輝いていく。ローカルメディアをつくることは、まさにその中心で人の “手と手” をつなぎ、プロデュースし、伝えていくことなのだと僕は思う。僕がこのウェブマガジンを『tetote』と名付けたのも、自分がそういう存在になりたいと考えたからだし、それができるはずだと信じてきたからだ。

 

町も同じ。町に、強みや個性があるから、周囲の町とつながっていく。小名浜が個性を持てれば、内郷や湯本とつながり、面白い「いわき」ができる。いわきの個性や強みが郡山や福島とつながり、魅力ある「福島」をつくる。でも、すべての第一歩は、誰かの人生に眠る「あなたしかないもの」を見つけることから始まる。それを見つけるのが、僕たちだ。

 

正直僕自身、完成形は見えていないし、現状に満足しているわけでもない。でも、ローカルメディアは、ウェブサイトとカメラとペンさえあれば始められる。だから、もっといろいろな人たちに手がけてもらいたいのだ。大都市には、面白いものがたくさんある。だけど、地方では、面白いものを自分が作れる。上海で感じたあの可能性を、僕は今、小名浜に見いだしているのだ。

 

(おわり)

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text & photo by Riken KOMATSU


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