FEATURE
復興の陰で失われていく港町の風景のことを考える
雨の降る10月の休日、いわき市東部の港町・江名地区の素晴らしさを知ってもらおうという町歩きツアーが行われた。かつてカツオ漁で賑わった江名。重厚さを滲ませた古い伝統家屋が残るなど、そこかしこに情緒があふれている。しかし、しばらく町を眺めてみると、一見大きな被害を受けていない家屋にも「解体許可」の紙が貼られているのに気づく。被災から立ち直りつつある町の陰で進行する喪失の現状が、町歩きから見えてきた。
ーまちあるき、の効能
近年、まちづくりと地域再生の観点から重要視されている「町歩き」。歴史や建物、デザインなどを意識して町を歩くことで、普段は視界に入らない町の価値を再発見しようというものだ。市民の意識を底上げし、まちづくりへの参画を促すことにもつながるため、日本各地で町おこしイベントとして催されている。今回、その町歩きが、復旧作業の続くいわき市江名で開かれた。
「私自身、江名の美しさに魅了されたということもあるのですが、311を経験して、改めて防災の面から被災地の建築や街並みを再確認する必要があると感じました。甚大な被害を受けたいわき市ですが、江名、中之作といった地区は奇跡的に津波の被害が小さくて済みました。住まいに隠された先人たちの防災の知恵を学び、美しい景観を保全することが、震災後のまちづくりには必要だと考えたのです」。主催者であり建築家の豊田善幸は、町歩きの趣旨について、そう語る。
この日の町歩きのポイントは、やはり建築が中心だ。「うだつ」の残る家や、鬼瓦に波の模様が施された家、レンガづくりの古い蔵などを、豊田の専門的な解説つきで伝統家屋を観察していく。なかでも、100年以上の歴史を持つ「土佐屋酒店」では、江戸時代に基礎が作られたという酒蔵や、戦時中に使われた生活雑貨などをご主人が自ら案内してくれた。参加者にとっては、江名の歴史を体感できる貴重な体験となったことだろう。
ー古民家に保存された防災のノウハウ
江名、中之作は、かつてはカツオ漁で全国的に名を馳せた。今では住民の高齢化や過疎化が進み、「さびれた町」の印象が強くある。別の地区に住むいわき市民も、特別な用事がなければ、このあたりを訪れることもなくなってしまった。しかし、古い家が手つかずのまま残っており、伝統建築や景観の保全といった観点から見ると、貴重な資源が数多く存在した希有な町としての姿が見えてくる。
港町はどこもそうかもしれないが、家のほとんどは船大工が修繕する。外壁に使う塗料は、多くの場合船に使うペンキを使うため、カラフルな住宅も多い。それが、長い間絶えず潮風を受け、錆び、風化していく。そうした住宅が、築100年を超えるようなどっしりとした伝統家屋と軒を連ね、独特の風景を作り出している。美しく、味わい深く古びていく景観。それが、江名の醍醐味ではないだろうか。
また、見た目の景観だけではなく、防災の観点から学ばされることも多い。「江名や中之作は、今のところ奇跡的に町の景観を維持しています。港や湾の地形や形状、街並み、人々の動線、建築工法などいろいろなところに「防災」の鍵が隠されているはずです」と豊田は語る。歴史を保存しながら、「防災」と「まちづくり」を平行して考える上でも、江名の町には貴重な財産が残されているのだ。
ー解体と保存の狭間で
しかし、そんな江名の町の風景が、壊されようとしている。伝統家屋を保護するのではなく、被害の小さかった家まで「解体すること」がなかば推奨されているためだ。現在、被災住宅の解体費用は自治体が負担するということになっているが、その期限が迫っている昨今、解体のための「駆け込み需要」が増えているのである。修繕すれば使えそうな家屋も、「今ならば無料で解体できる」という理由で、次々に壊されてしまっているのが現状だ。
「復旧・復興を進めようとすればするほど、残すべき建物まで解体されてしまう」。「復旧」と「解体」のジレンマに、主催者の豊田は苦しんできた。何度も持ち主に頭を下げ、保存すべき価値があること、保存するための費用を助成する制度があることを説いて回った。県外に、「修繕費用を負担してもいいからそこに住みたい」という人を見つけたこともあったが、それを告げようと家を訪れると、「解体許可」の紙が貼られていたこともあったという。
「被害を受けた方が、この家に住みたくないという心情はもちろん理解できます。でも、修理すれば建物の価値は残りますし、都会に住む人たちに貸してもいいわけです。百年という歴史を守り続けてきた家屋を、「タダで壊せるから」といって壊してしまっていいのでしょうか。地域共有の財産となることが、建物の価値をも高めていくんです。そういう家屋が残れば、江名は「震災にも負けなかった町」として、価値ある町になっていくはずです」。豊田は熱っぽくそう話す。
豊田がここまで家屋の保全にこだわるのは、阪神淡路や中越、津波のあった奥尻島など、かつての被災地に、画一的で地域らしさを失った町ができてきたのを何度も見てきたからだという。「被災して、今までそこにあった建物や風景が壊されていくという喪失感だけではなく、その場所に、どこにでもあるような町ができあがってしまったときの二度目の喪失感。自分の生まれ育ったいわきに、そんな喪失感を味わって欲しくありません」。
ーポスト震災のまちづくり
何とか津波に耐えた町が、人の手で壊されていくという問題。その背景には、取り壊しを急ぐあまり、ビジョンを失った自治体の姿が見え隠れする。「復旧・復興」は、「私たちはどのようないわき市を再建したいのか」というビジョンに基づいてなされるべきだ。しかし、今のところ、いわき市の復興ビジョンには「安心安全」という文言が並ぶばかりで、地域それぞれの歴史や文化を活かした「まちづくり」が語られることはない。かつての被災地が繰り返してきた誤ちを、いわき市もまた、繰り返そうとしているのだろうか。
また、「自分の家なんだから、何したって構わない」という個人主義的な考えが、まちづくりの妨げになっているという面もあろう。ただでさえ、東北の港町とは閉鎖的なところだ。被災地だけに言えることではないが、そうした閉鎖的な町において、地域の財産や価値を共有するための「コミュニティ」意識をどう盛り上げていくのかは、今後の大きな課題となりそうだ。いずれにしても、誰も関心を寄せないまま、価値ある建物の解体が無機的に拡大しているのが現状だ。
まちづくりには、「若者」、「外者」、「馬鹿者」が必要だとよく言われる。地元の人たちに食らいついて、町の景観保全のために奔走する豊田は、「馬鹿者」に徹しているようにも見える。そこに、江名の町の魅力に気づいた「若者」たちが参加し、「外者」が盛り上がりを加速させる。そうして、地元の人たちを巻き込んでいければ、「自分の家」を「地域の家」として考えられるようなコミュニティの復活も夢物語ではなくなる。
100年200年の歴史や景観を保存することはそう簡単ではない。しかし、福島の港町の多くが津波によって破壊されてしまった今、古き良き「福島の港町」らしいライフスタイルや景色は、もはや江名や中之作にしか残っていない。それを守り続け、発展させていくことが、いわきの観光資源になり、外から人を呼び寄せる起爆剤になるのではないだろうか。やがてそれは、そこに暮らす人たちの誇りになっていく。復旧・復興は、「まちづくり」と一体であるべきだ。
今回の町歩きには、いわき市の復興計画などよりよほど魅力的なビジョンが隠されている。参加した人たちの多くが、「この町並みを残すために、声を上げていかなくちゃ」と声を揃えていたことが、その証拠だろう。豊田設計事務所では、江名・中之作地区の景観を守るために、今後さまざまな活動をしていくという。江名の街並みを見て何かを感じた読者は、ぜひ、このアクションに参加して頂きたい。
information
豊田設計事務所
http://toyorder.p1.bindsite.jp/
中之作プロジェクト
http://toyorder.p1.bindsite.jp/nakanosaku/index.html
コメントをお書きください