この浜で

Re:write vol.11 / text by ナカジマシゲタカ

 

このエッセイを書かせてもらうのが、余所者の僕でいいのかという気持ちはある。

でも書きたいことはある。

 

まず僕が小名浜に初めて来たのは、震災後になる。だから僕は、みんなが暮らしてきた震災前の小名浜を知らない。僕が初めて小名浜に来たとき、高速バスを降りて、湯本インターで迎えの車を待っていたときだった。一台の車に乗ったおばさんが声を掛けてくれた。「あんた!迎えの車あるのかい!?」。

 

ひとり道端でボーッと立っている僕のことを気遣ってのことだった。僕は礼を言って断ったあと、周りを見渡してみた。長野で生まれてから、すぐに川崎や横浜で育った僕には、こういうことが初めてだったので、見渡した先にあった遅咲きの桜がやけに鮮やかに見えた。

 

この出来事は、次に訪れた時も起こった。みんな車のブレーキを踏んでまで、余所者の僕の行き先を確かめてくれる。これまでなんとなく思っていたそれは、確信に変わった。この浜の人は温かい。

 

僕は、東京にある職場の建築設計事務所で地震を迎えた。電柱や建物が小刻みに大きく揺れて、目の前のタワーマンションが右に左に不気味に、ゆっくり大きく揺れていた。高所作業中だった作業員のゴンドラが宙に大きく振り出されるのも見えた。その後は、ひたすら家族と友達の心配だけだった。

 

地震後、親友の家族が住んでいたり、彼女の実家がある福島いわき市で何か出来ないかと思い悩んでいたとき、そんなモヤモヤを福島の建築家アサノコウタ君に相談して、ここ小名浜で取り壊し予定の建物に画を描くことになった。

 

ただ、僕は今まで自分のために画を描いてきたし、建築設計だって、つまるところは「自分のため」が大きかった。そしてそれは結局、ただの自己満足でしかなく、ひとりよがりなものが多かった。

 

でも、この浜の人達に会って、目を見て話して、僕の中で何かが変わった。自分のためじゃないということ。誰でもいい、この浜の人たちのために画を描こうという気持ちが僕の中でいつの間にか大きく膨れ上がっていた。

 

人のために何かをする、なんて、言ってしまえば単純なことだけど、設計や画を描くときには今まで無かった気持ちが僕の中に現れた。それは、胸が焦がされながら、自分の精一杯を壁にぶつけたいという熱を帯びた気持ちだった。誰かのために、自分の持つスキルを最大限発揮して、その家の人たちの喜んでくれる笑顔が見たい一心で描くということ。

 

街や建物にとっても、震災で止まってしまった建物の時計をもう一度進めてあげることはとても大事なことだ。建物は人に使われてこそだし、命がある。

 

だからせめて外観だけでも、道を行く人たちの目に、新鮮さと、多少の親しみをもって触れて欲しい。そうすると、建物だって生き生きする。建物だって「危ない」という目だけでは見て欲しくない。

 

瓦礫が片付き始めたその景色をプラスに描き変えるということ。描き終わった後には、みんな笑顔になっていたら。そして、そういう画たちをこの浜の人たちと一緒に描いていけたら、と切に願う。ここから、小名浜で。

 

 

2011.6.9 up

profile ナカジマシゲタカ

1984年長野県生まれ。横浜在住。 2005年より東京でライブペインターとして活動を続ける。Butterfly Under Flaps.所属。慶応大学SFCにて建築設計を学び、現在は伊東豊雄建築設計事務所勤務。

 

 

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