信実とは、決して空虚な妄想ではない

tetote essay vol.12 / text by saimaru

 

「不便なまちだからこそ、そこに愛着がわくのだ」

宮崎駿監督のその一言で、自らの研究テーマが決まったと言っても過言ではない

 

200910月、ある判決が法曹界を賑わしたことを覚えているだろうか。「広島県鞆の浦景観訴訟」。広島に鞆の浦という風情溢れる港町がある。その美しい景観が買われ、ジブリアニメ『崖の上のポニョ』のモデル地に起用されたことでも有名な町だ。そんな町で、港に橋を架けるという大型公共事業をめぐり、住民側と県・市が裁判で争うという異例の事態が起きた。

 

出された判決は画期的なものだった。広島地裁は「鞆の浦の文化的、歴史的景観は国民の財産」とし、免許差し止めを命じたのだ。景観訴訟の公共事業差し止めに関しては、過去に、事業の一部差し止めの判決はあったが、「全面差し止め」の判決はなく、歴史的かつ異例の画期的な判決となった。

 

私がこの裁判で一番の争点だと感じたのは、「この事業が景観に重大な影響を与えるかどうか」の点。県はあくまで、住民の安全、交通の利便性を図るための事業だとしている。住民のためを思った計画であることは言うまでもない。しかし、「住民の安全・利便性」と「景観が失われることによる文化的、歴史的価値の損失」を比較したとき、後者が前者を上回ったのである。

 

「景観は国民の共通財産」と掲げる「景観法」が出来たのは2004年のこと。国民の間には、景観を大切にしたいという考え方が急速に高まっている。公共事業も時代に合わせて変えなければならないそんな主張がにじむ判決となった。冒頭の言葉は、判決に対する宮崎駿監督の言葉だ。

 

 

この判決に触れた時、なにか自分と通ずるものがあった。自分の生まれ育った港町「小名浜」だ。今思えば、自分が恣意的に結び付けていたのかもしれないが、小名浜らしい景観とは何か…、残すべき小名浜の財産とは何か…、人生21年目にして小名浜を振り返るキッカケとなった瞬間だった。港町の景観や、港町の魅力、港の賑わいや活気・・・・こういったワードに物凄く敏感になったことは間違いない。

 

また、自分の専攻である行政学の研究とリンクした瞬間でもあった。「みなとまち」を「景観」の側面から考察する、「みなとまちづくり」というテーマ。具体的には景観形成までの過程を探り、市民活動が公共事業へ及ぼす影響といった、主にソフト事業に焦点をあてた研究だ。

 

大学2年の秋、こうして研究は始まった。しかし、小名浜の歴史を学ぶうちに痛感したのが「小名浜に生まれ育ってきた自分が、小名浜をまったく理解していない」ということだった。文献を読み、有識者と話す機会を設けるたび、「今までの小名浜に対する想いは、なんて希薄だったんだろう」と。その事実だけが頭を困惑させた。でも、そのおかげで、本気で研究に向かい合う決心がついたことは確かだった。

 

研究を始めてから、今まで当たり前に感じていた小名浜の街並みに疑問を持ち始めるようになった。鹿島街道の統一感のない雑多なテナント看板、小名浜支所から港に向かう際の所々ある空き地スペース・・・・、規制または有効活用することによって、もっとイイ街並みを形成できるのではないか。自分は「どうも小名浜が損をしている」としか思えなかった。

 

 

ところが、調べてみると意外なことがわかった。県が2007年に小名浜花畑地区を景観形成重点地区に指定し、道路拡幅事業に合わせ、沿道の良好な景観を形成し港町に相応しい個性豊かなまちづくりを進めるための基本計画を決定していた。高校生のときはなんとなく「道路の拡張工事がされてるな~」くらいにしか思っていなかったが、実は、景観形成を目的とした工事だったのだ。

 

さらに調べてみると、この「景観にベクトルを向けた事業」の裏には、地元住民の懸命な活動があったことがわかった。「小名浜まちづくり市民会議」(以下市民会議)という、小名浜のまちづくりについて考える住民で構成された任意団体が、「小名浜地区まちづくり計画」と題したプランを行政と協働で作り、積極的な関与をしていたのだ。失礼だが、初めて聞いた団体だった。自分がいかに小名浜を知らないか、また、痛感させられた。

 

 

私は市民会議に赴き、話を聞かせてもらった。まち歩き、まちづくり講座、行政とのグランドデザインなど、実に多岐に渡る活動している。景観を強く考える市民会議の総意が反映され、花畑地区の景観事業に結実したのだ。「鞆の浦のケース」とは逆だが、「既存のものを残す」ために道路や建物をもう一度整備することも、立派な景観形成なのだ。

 

課題もある。市民会議の会員や参加者の中に、20代がいなかったこと。10年後、20年後の小名浜の未来を考える場に、未来を主体的に動かす20代の若者世代がいない現実。悔しさより、寂しさや虚しさが強く残った。地元に住む若者を動かすにはどうすればよいのだろうか。本気でそう思った。

 

若者がまちづくりに参加しない問題を打破するための鍵は、教育にあると考える。全国の事例をみると公教育(小学校)の現場に、まちづくり教育が浸透しつつある現状がある。考えることよりまずは五感をつかって体感させること。これが、未来を主体的に動かす原動力に繋がるのではないのだろうか。

 

景観はとても審美的で、そこに価値観を見出せない住民にとってみればどうでもいい話で片付いてしまう。景観を「守りたい」、「良くしよう」という住民の気持ちがなければ自発的な公共事業は存在しない。その意味において、小名浜には、景観を守り育もうという住民がいる、それに、深い温かみや可能性を感じた。

 

「小名浜」

そこは人が生んだ可能性に満ちているまち。

 

2011.1.16 up

profile saimaru

1988年いわき市小名浜生まれ。横浜の大学生。読書、人と話すことが好きな22歳。

 

 

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