弱い
Re:write vol.4 / text & photo by Ryo
3月11日の朝、誰が何を思って過ごしていただろう。
まさか地震が起こるなんて。
まさか津波に飲まれるなんて。
今、自分がいる家が流されるなんて。
今、となりにいる家族が、いなくなってしまうなんて。
「生きる」の選択肢の中に。
そんなあの日からだいぶ時間が経ってようやく、なんとなくだけど、この地震に対しての自分の思いが見えるようになってきた。この地震で失ったものがないぼくの思いなんてものは、失った人たちと比べるに値しない軽いものだけど。
津波に飲み込まれて、幸いにも命が助かった人たちがこう言った。「津波が来ると知ったとほぼ同時に、窓の外が『みどりいろ』になった」。30,000人と未だ見つからない数人。1人ひとりが、自分に覆いかぶさるがれきに、自分を追ってくる津波に、飲み込まれた。そして、ある人の身体は鉄や木に貫かれ、ある人の肺には汚水が流れ込み、気づかぬまに、あるいはゆっくりと、命を落としていった。
町は瓦礫と遺体に埋め尽くされた。
加えて、嗚咽。
「なんで俺の家族だけが」 「どうして私の家族だけが」。
そして生き残された人たち。
「生きた」とはいえ、身体的、精神的に虫の息といってもおかしくはない、生死のギリギリのラインで苦しんでいる。現在では自衛隊やボランティア、支援物資や各地域での受け入れなどのフォローを受けているものの、以前のように心が休まる生活には程遠い。人間はとてつもなく弱い。
糸井重里さんによって生まれたゲーム「MOTHER」。その中に、「たいしたことないもの」というアイテムが存在する。人間はまさに、この「たいしたことないもの」だ。無数の星のうちのひとつ、地球の、ほんの一部が、「ずんっ」と震えただけで、数万人が命を落とし、世界中の人間が慌てふためいている。春先のアリんこみたいに。
そして、それから1ヶ月と数日が過ぎた今、一体なにが起きている? 誰かがやることを「否定」して、「批判」して、余震がくれば慌てふためいて、それが治まればまたまた罵詈雑言。総理が、市長が、企業が、東電が、悪い悪い悪い悪いわるいわるいわるいわるいわるい…..
人間の弱さ、愚かさ。虚しいほどに。
こんなクソな世界、いっそ日本全土が沈めばよかった。
そう思う自分が、確かにいる。
一方で、そうは思えない自分もいる。以前ここで書いたエッセイに、「小名浜は人間らしい町」で、そんな小名浜を愛している、と書いた。そんな気持ちが今も変わらずぼくの中で生きている。炊き出しをしたとき、物資を運んだとき、掃除の手伝いをしたとき、ぼくよりも辛い立場の人たちが、「ありがとうございます」と笑顔で答えてくれる。人間なんて弱くてバカでなにもできないけど、でも、みんなそれを承知の上で頑張ってる。
金はもちろん、建築技術も、なんの能力もない並みの高校生にできることはなんだ。きっとそれも「たいしたことない」ことなんだろう。だけど、意味なんて求めてる暇はない。できようができまいが、選択肢は「やる」しかない。人は弱い。たいしたことない。だからなんだ。
もういいや!
なんでもいいから、なんかやろう!
この町を復興するはずが、気がつけば、この町に支えられていた。
今までと同じように。
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