オナハマ
tetote essay vol.8 / text & photo by RYO
いや、ちょっと待ってくれ。
たしかに小名浜は良いところもある。田舎だけど、何より暖かい。港町特有の人間性も、景色も、匂いも、この小名浜の象徴だ。「この町に生まれて本当によかった」。「この町を愛している」。そう思っている人は少なくないだろう。もちろん、僕もその1人だ。
だけど、そんなに“綺麗な”町か?
誰もが“幸せ”に暮らしているか?
違う。
小名浜には、悪いところがたくさんある。
小名浜には、不幸せな人が、確かにいる。
僕はこれまで小名浜という町からいろいろなことを教えられた。中でも、特にお世話になったのが三崎公園だ。いわき市内に住む人なら知らない人はいないであろうその公園には、緑があり、海がある。この公園の海は、時に僕を優しく包み込み、時に僕を裏切り、突き放した。
小学生の頃、よくこの公園にやってきた。僕が行くのは決まって「磯」だった。岩がゴツゴツして、波も荒くて、危険な場所ではあるものの、綺麗な石ころや貝殻、海藻や磯の生き物などが目に入ってくる。そのすべてが、僕は大好きだった。純粋で、無垢な自分がいた。
中学生になった。
中学生は“オトナ”になる時期だと教えられた。部活や勉強に勤しむ友だちが、なんだか自分から離れていくような感覚を覚えた。親の財布から、お金をくすねるようになった。18歳未満立ち入り禁止のサイトを手当り次第に開きまくった。自分のやること、考えること、周りの人間の行動、すべてがよくわからなくなった。
いつかの週末、久しぶりにこの“磯”にやってきた。昔の自分に戻りたくて、戻りたくて、この磯はきっと自分を待ってくれているんだと信じて・・・。
砂浜には、汚れた容器が転がり、流木に絡まったビニールの紐が風になびいていた。岩にはひからびた海草や海星が異様な臭いを発していた。気のせいかどこか薄暗く、恐かった。
地獄。
すべてが終わった。この地元が、小名浜が、地獄に変わってしまったように思えた。
中3が終わるころ、努力の甲斐あって第一志望の学校に合格した。すべての肩の荷が下りて、なんとなく散歩したくなった。姉に借りたデジカメを片手に、近所を撮って歩いた。すると、小名浜が妙に懐かしくカメラに写る。電柱、標識、道路、公園。いつしか、あの頃の小名浜が戻りつつあった。
たまらなくなって、あの場所へ向かった。夕陽が沈みかけたその場所は、僕を待っていてくれた。その時、小名浜の景色は、あの頃に戻っていた。
新しい学校に入学し、以前とはまったく違った生活が待っていた。勉強は格段に難しくなり、周りの人間もがらりと変わったが、それでも楽しかった。もちろん小名浜も、変わらずにそこにあった。1年生の終わり間近、好きだった人から告白された。キスもされた。死んでも文句はなかった。1ヶ月後、その人が別の男の人と付き合っていることがわかった。
2年生になり、僕は、学校に行けなくなった。人を信じることができなくなった。
小名浜は、あの磯は、変わらず優しかった。ウニを密漁するおじさん、大量に捨てられたアダルトビデオ。とてつもなく汚かった。それでも、あの磯だけは、いつもと変わらず優しく、そして、温かかった。
僕はその時、今までにない不思議な気持ちになった。
いつか、小名浜で殺人事件があった。
いつか、小名浜で高校生が飛び降り自殺をした。
今も小名浜のどこかに汚れた人がいる。恨む人、嘆く人が確かにいる。
この町には、良いところがたくさんある。
同じくらい、悪いところ、悲しいところがたくさんある。
でも、それが本当の小名浜なんだと思う。
僕は、小名浜はどんな町かと聞かれたときに、いつもこう答える。
「ものすごく、人間らしい町だよ」
そんな小名浜だから、今日もこの町を愛している。
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