ESSAY
このたびの東日本大震災で被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます
text by Riken KOMATSU / posted on 2012.7.7
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東日本大震災で被災された皆さまに、心よりお見舞いを申し上げます。
昨年の大震災以降、いったい何度、この文言が使われただろう。
お見舞いのハガキ。時節の便り。企業のホームページ。テレビのコマーシャル。
ありとあらゆるコミュニケーションの中に取り込まれ、
さながらあいさつのようになっていたこの言葉。
僕は今、この文言の扱いについて頭を痛めている。
勤め先のかまぼこ屋で、お中元ギフトのビラを作ることになった。
僕は、あまり悩みもせずに、
「東日本大震災で被災された方々に、心よりお見舞いを申し上げます」という文言を入れて書いた。
震災からまだ1年と少ししか経過していない。
失われた命に対する追悼の意。懸命に生きている方々へのエール。
それに、僕自身の身にも降り掛かったあの災難を思い出しながら、
深く考えることなく、僕はその文言を入れた。
ところが、この文言を入れるか入れないかで、他の社員と意見が食い違った。
「みんなが前を向いているのに、震災を思い出すような言葉を入れなくてもいいんじゃないか」。
「辛い思いをした方に、苦しい記憶を思い出させることになってしまう」。
僕の勤める会社はいわき市永崎海岸の間近にあり、
多くの社員が工場のそば(海のそば)で生活している。
自宅が流された社員もいるし、家族や親類が犠牲になったという方もきっといるだろう。
そんな会社の社員の口から、お見舞いの言葉を入れることに否定的な言葉が出たことを、僕は重く受け止めた。
でも、入れないという選択肢を、僕は選ぶことができなかった。
でも、それを望まない人たちも大勢いる。
堂々巡りの自問が続いた。
迷って、迷った挙げ句、僕は自分の身を振り返ることしかできなかった。
僕は、当時勤めていたいわき市泉であの揺れに襲われた。
気の動転ぶりは、それこそ心臓が口から飛び出してくるほどだった。
消防車と競争するように車を走らせて家に帰り、母と祖母を連れて高台の中学校に避難した。
津波が、家のそばまでやってきていた。
友人たちから、僕の身を案じるたくさんのメールや電話がたくさんやってきた。
僕は、そのくらいには被災者だったのかもしれない。
一方で、家がめちゃくちゃになったわけでもなければ、家族を失ったわけでもない。
震災が原因で仕事を失ったわけでもない。
震災後に結婚をしたり転職をしたりと、むしろ“いい思い”をしている部類に入るかもしれない。
だから、僕自身は自分のことを被災者だと言うのには抵抗がある。
僕はただ「この町にいた」ということでしかないのだ。
「東日本大震災で被災された方々」とは、いったい誰を指す言葉なのだろう。
あの日、東京で大きな揺れに襲われた僕の兄は、被災者だろうか。
高層ビルで長くゆっくり続いたであろう揺れの恐怖は、察するに余りある。
「福島県出身者」としての苦悩もあったことだろう。
そういう苦しみは、「被災」ではないのだろうか。
僕は被災者だろうか。被災者ではないのだろうか。
東日本大震災に被災された皆さま、とはいったい誰なのか。
僕は誰に向かって「お見舞い」を書いているのだろうか。
書くのだとしたら、個人の立場で書くべきなのか、いや、会社の一社員として淡々と書くべきなのか・・・
答えのでない自問の道に迷い、逃げ込んだ先は、また袋小路。
ついに、僕は、この問いを放棄してしまった。
考えるのが面倒になってしまったというのは正直ある。
それ以上に、「被災者」という言葉に振り回されているような気がしたのだ。
軸のない駒のように、ゆらゆらと揺れてすぐに倒れてしまいたくなかった。
誰かと比較して「こっちはマシだ」とか「大した被害でもないのに!」とか、一喜一憂したくなかった。
僕は、僕自身でしかない僕の立場で、その文言を書くことにした。
本来ならば、会社の立場で書くべきなのはわかる。
でも、このビラに書かれるべき文章は、
遠く離れたところにある大会社が「書いておいたほうがいいだろう」なんて理由で書くようなものではない。
いわき市永崎にある会社が書く文章であるべきだし、そこには血が通っているべきだと思った。
その血は、その会社を形成する一人の人間として書くときに初めて通うのだと、わけもなく思ってしまった。
カレンダーを新しくかけ替えたのもつかの間、
新緑の若葉も、いよいよ濃い緑へと変わる季節となりました。
東日本大震災で被災された方々に、心よりお見舞いを申し上げるとともに、
震災直後から様々なかたちでご支援頂いた皆さまに、厚く御礼申し上げます。
結局ここでも、「被災された方々」という言葉を使わずにはいられなかった。
ベストな言葉だったかはわからないし、会社の売り上げにも、まったく貢献できていないだろう。
会社のパンフレットだから、受け手がどう感じるかを最優先に、
門が立たないような言葉を選ぶべきだったのかもしれない。
ただ、僕は、一人の人間として、
あの震災で大きな苦しみを味わった方の気持ちが少しでも和らげばと願っているし、
これまで誰かにして頂いた支援に、心から感謝の気持ちを言いたかった。
それだけではない。僕は、恐れていたのかもしれない。
「震災がなかったことにされてしまう」ということに。
たかだかお中元のパンフレットだ。いちいち気にしなくてもいいのかもしれない。
だけれど、あの震災のことに何も触れない、ということにとてつもない違和感があった。
そこで失われた尊い命や、僕たちが感じたあれこれを
結果として無視してしまうことになってしまうのではないか、と。
震災をどう考えるのか。
スケールがデカすぎて、今すぐには答えなんか出やしないし、僕の答えはせいぜい僕の答えでしかない。
悩み悩んで捻り出した答えなのに、次の日にはもう違和感を感じていたり、
自分の発言に「やっぱりちょっと違うなあ」とツッコミを入れたり、そんなことばかりが続いている。
ここに書いた文章も、明日にはきっと違和感を感じるに違いない。
僕らは、答えのでない問いを、ずっとずっと抱き続ける運命にあるのかもしれない。
年末のお歳暮はどうだろうか。
来年のお中元は、パンフレットからお見舞いの文言は外れるだろうか。
20年後も30年後も、愚かな僕はきっと悩み続けるのだろう。
その悩みの足跡を、今日もここに刻もうと思う。
文章 小松理虔
tetoteonahama編集部
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ふじさわだいすけ (火曜日, 18 6月 2013 23:23)
私も、家も家族も無事でした。被災者か否かと問われると…。伝え方も受け取り方も人それぞれだけど、大切なのは、言葉や文章の必要性や内容ではなく、相手を思いやる気持ちを持ち続けるということだと思います。悩み続けるあなたは決して愚か者ではありませんよ。決して。