ESSAY
バラバラに寄り添う
text by Riken KOMATSU / posted on 2012.2.20
上海時代に勤めていた雑誌社から連絡が来て、
震災1年を迎える福島について書いてもらえないかとオファーを頂いた。
自分なりに震災のことを振り返ってみるのもいいかな、
そんな安易な気持ちでこの仕事を引き受けたことを後悔している。
なぜなら、このたった6ページの特集で「震災1年」を総括することなんてできやしないからだ。
僕が取材した人も場所も、悲しいほどに福島のほんのほんの一部でしかない。
「福島の1年」というタイトルが空しくなるくらいに実際の福島はバラバラで、
僕の企画は福島の1年をまったく捉えきれていなかった。
震災から1年が経とうとしている今なお、
福島県から他県に避難している人の数は6万人を超え、
避難先の自治体は、福島以外の46すべての都道府県にわたっている。
福島にとどまる人たちの間でも、さまざまな意見の食い違いが生まれ続けている。
父から離れ、母と暮らす子どもたちが大勢いる。
「もっと放射線に敏感になれ」と責める人たちがいる。
安全厨も危険厨もいる。
原発なんてクソくらえとネットで叫ぶ人も、原発は必要だと語る政治家もいる。
どっちでもいいやと思っている人もたぶん大勢いる。
自分に意見と合わない人は「敵」となり、
これまでのつきあいもつながりも友好関係もなくなってしまったという声も多い。
「絆」という言葉になんらかの力を感じることは、まだできていない。
今回の取材で、農業と漁業に携わる人、2人に話を聞いた。
置かれた状況は、やはりバラバラだった。
しかし、同じだったこともある。
それは、悩み、苦しみながらも、2人がそれぞれ「自分の答え」を出し始めているということだ。
2人の発言には、共感できたこともあったし、正直同意しかねることもあった。
何か私に手伝えることはないだろうかと考えたこともあったし、
こんなやり方もあるよと自分の意見を言いたくなったこともあった。
でも、取材だから自分の心を押し殺して、聞くことに徹した。
すると、僕が何か気の利いたことを言わなくても、
それぞれの一歩を踏み出し、それを言葉にして語ってくれたのだった。
そこで考えた。
何もせず、賛成も反対もせず、ただその人のそばで耳を傾け、聞くということを。
もしかすると、究極的にはそれは「何もしない」ということかもしれない。
でも、そのほうが、「答え」を導き出せるのではないか。
そして、それぞれの答えこそが、バラバラをつなぎあわせるヒントになるのではないか。
助けてください、支援してくださいと言う声には支援の手を差し伸べてほしい。
けれど、そうでないことは私たち自身で何とかするしかないし、
福島に暮らす以上、そこからは逃れられないのだということをみんな薄々わかっているのだ。
2人を取材して、そう思った。
そもそも私たちは、歴史上誰も体験したことのない世界に住んでいる。
世界中の誰も、答えなど持ちあわせていない。
福島に住む僕たちで探していくほかないのだ。
そこに正解も不正解もありはしない。バラバラで当然だ。
だから、そのバラバラを悲しんだり、逆に応援したりすることもなく、
そのバラバラひとつひとつに耳を傾け、その人の決断を尊重するほかない。
確かに、震災で福島はバラバラになってしまった。
だけれど、そのバラバラをつなぎあわせるのは何かということを見つけるのも、
やはり私たち福島に住む人間の仕事なのだ。
「がんばってください!」などと声援を送るのでも、
「その気持ち、わかりますよ」だなんて安易な共感でもない。
それぞれの答えが出るまで、福島の声に耳を傾け、ただただ耳を傾けていきたい。
それが、「寄り添う」ということなのではないかと、
今は、そんなことを考えている。
それが正解かは、僕自身も、まだわからないけれど。
文章 小松理虔
tetoteonahama編集部
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