ふるさとの重み
tetote essay vol.7 / text by Riken KOMATSU
「ふるさとは遠きにありて思うもの」と詠った室生犀星。唱歌『故郷』でも、ふるさとは「志を果たしていつの日にか帰らん」とすべき場所として歌われている。どうもふるさとというのは、「異郷」にあってはじめて強く思えるもののようだ。僕だって上海にいる頃は、ふるさとのことたくさん考えたもの。その気持ち、わからないでもない。
僕らのじーちゃんばーちゃんの時代、「上京」という言葉は「ふるさととの絶縁」の意味を持っていた。志を果たすまでは帰らないという不退転の覚悟を持って、東京行きの汽車に乗ったはずだ。だからこそ、遠くにありて思うふるさとは、まるで宝石のような輝き持ち続けていたのだろう。「故郷に錦を飾る」という言葉も、今以上に重みのある言葉だったに違いない。
ところが、僕が “そういうふるさと” にいざ帰ってきてみると、不思議と淡々としている僕がいた。ふるさとという言葉の持つ響きは、異郷の地にいる場合においてのみ「甘美」なのかもしれない。当然ふるさとを愛しく思う気持ちもあるけれど、異国の地のように見えることもあるし、田舎にありがちな閉鎖的な雰囲気に嫌気が差すこともあった。
そんな日々を過ごしながらわかったことがある。ここがふるさとかどうかは、実はあんまり関係ないんじゃないかということだ。それは、僕が半分上海人になって帰ってきたことと関係があるかもしれない。海があって、おいしい食べ物もあって、気候だって恵まれている。カメラを持って町に出れば被写体に困ることもない。あ、いい町じゃんって、ごくごく普通に思える。
東京にだけ夢があるなんて時代じゃないし、田舎に安息があるかというとそうでもない。喜びや悲しみ、苦しみはどこにでもある。小名浜に帰ってきた理由は確かにこの町が「ふるさとだから」なのだけれど、かと言って不退転の覚悟があるわけでもない。死ぬまでここに住んでいる自分は想像できないし、いつかまたふらっとどこかにでかけてしまうかもしれない。
だからといって、ふるさとがかつての重みを失い始めているわけではない。このエッセーの企画を始めてみて、単純な「ふるさと」を超えた小名浜の存在を知ることができた。どういうことかと言うと、東京にいる人、どこか別のところにお嫁さんにいった人、旅に来た人、戻ってきた人、いろいろな人のそれぞれの「小名浜」があり、ふるさとは、昔みたいになんだか重苦しいものじゃなくて、自由で身軽なものなんじゃないかということだ。
確かに、唱歌『故郷』のような気持ちで小名浜を感じられたら、とは思うけれど、いろんなふるさとがあっていい。だいたい、僕たちは、決死の覚悟でふるさとを離れなければならない時代に暮らしているわけじゃない。「ふるさと」も、今の時代に合ったしかるべき重さを身にまとうべきなのだ。僕は、そう思っている。
東京にいたときより、上海にいたときより、実は確実に、このふるさとを気に入っている。そうだ、愛しているというわけでもなく、憎んでいるわけでもなく、そう、単純に「気に入っている」のだ。それが、僕がこの町で見つけた、ふるさとの “ちょうどいい重さ” なのである。
コメントをお書きください