小名浜の子
tetote essay vol.2 / text by みーたん
小名浜に生まれ育った自分の宿命を恨んだことがある。
東京の大学に通い始め、東京出身の友人がたくさんできた頃のことだ。私は、友人たちからよく地元のことを聞かれた。「ねぇ福島弁、しゃべってみてよ」.....どうせ笑うくせに。「田んぼだらけなんでしょ?」.....小名浜は漁業の町だよ! 東北でひとくくりにするな! 実家に遊びに行きたいというから友人を連れて行ったら「観光地に実家があるのって変だね」って言われた。小名浜のことを、いつもそんな風に言われた。
そんなやり取りを何度かするうち、私は小名浜に生まれ育ったことを恨むようになった。それからは、一日でも早く「東京の子」になりたくて、渋谷の道や都市の路線図を必死に覚えた。東京の言葉も板についてくると、渋谷で朝まで飲み、六本木のクラブに入り浸ることが増えた。そして、小名浜のことは、いつの間にか思い出さなくなった。
ところが、意志に反して、心の奥底や身体の細胞が、いつまでも小名浜を忘れられなかった。東京のスーパーの魚が食べられない。港と聞くと、大きな漁船が停泊している小名浜港を思い出す。子供の頃飽きるほど食べたのに、メヒカリやサンマが食べたくなる。坂道を上ると、一中の通学路が目に浮かぶ。身体や心が、私が小名浜の子であることを証明してしまう。
それなのに、それを受け入れてしまったら、東京に生まれ育ち、小さい頃から私立に通っているような子たちに負けてしまうような気がして、私は小名浜を受け入れることができなかった。
大学3年のとき、友達とキャンプに出かけた。都心で生まれ育ったその友達は、小学4年生から中学受験の塾に通わされて、放課後に遊んだ記憶がないのだという。自然と触れ合ったことも、あまりなかったそうだ。私は、学校が終わったらいつも気の済むまで遊べたし、夏になったら海もプールもあった。帰りには、理科で学んだばかりの星座を見て帰った。遊び足りないなんて思ったことは一度もない。私の人生の方が、100倍いい思いをしてるじゃないか。小名浜の思い出が、はじめてキラキラ輝きだした。
社会人になった後も、東京出身の友人から「帰る場所があるっていいね」と、そう言われたことがある。理由を聞くと、気持ちを切り替える場所がないのだという。私は、お正月になり家に帰れば、おいしいご飯が出てくる。向かいにある美容室のおにいちゃんがわざわざ顔を出して「おーい、たかちゃーん、帰ってきたのけー」って声をかけてくれる。私が当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃなく、すごくありがたいものなんだって思えた。小名浜が愛おしくなった。
26歳の秋、おじいちゃんが天国に行った。自分の身体の一部がなくなったような気がした。だけど、町中から親戚や知人が集まってくれて、みんなが、「たかちゃん、大きくなったね」と言ってくれた。そうか、そうなんだ、私は小名浜の子なんだ。ほかでもない、この小名浜という町が、この町のみんなが、私の成長を見守ってくれていたんだ。そう思えた。
小名浜を離れ10年以上が経った。東京で暮らすことに、今では何の不自由もない。でも、そんな今でも、海を見るたびに、小名浜のあの穏やかな波と重ね合わせる。私は、どこにいたって、小名浜の子。渋谷にいても、六本木にいても、それは変わらない。
今は、自分の宿命を愛おしく思っている。だって、小名浜で生まれ育ったという宿命が、今までの私を創り、未来の私を創っていく糧になるのだから。
2010.4.19 up
profile みーたん
1978年小名浜生まれ。小名浜第一中学校、磐城女子高校を経て、東京の私立大学を卒業。IT企業を経て、現在は社会人向け人材育成会社に勤務。趣味は南国でのスキューバダイビングと、近所を飲み歩くこと。
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