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ESSAY

この町のこと 僕のこと

text by hacosi  /  posted on 2012.5.27

 

「う〜ん、例えば・・・自転車で町を走ってみたら?」

 

まったく心に届かなかった精神科医の言葉。

でも、何気ない、本当に何気ないこの一言だけは、スッと心に届いた。

今でも思い出す。この町を自転車で走るたびに。

 

2004年初夏。

テレビの中では近鉄とオリックスの合併の話題で盛り上がっていた。

颯爽と現れたライブドアの堀江貴文氏が「近鉄を買収する!」と大仕事を宣言し、

救世主として注目を集めていた。そんな頃だ。

ホリエモンとさして年齢の変わらない20代も後半の僕。

その僕の仕事といえば、うつ病治療の精神科に通うことだった。

 

この町の代名詞ともいえる海からは3キロほどの内陸。

潮騒の通じない静かな住宅地にある僕の家。

そこから週に1度、車で約30分かけて茨城の県境に向かう。

通院が唯一の外出。

6号バイパスから望む工業地帯の煙突からは白煙がモクモクとあがっている。

徐々に青空と同化してゆく白煙を眺めては悶々と考えた。

「また働けるようになる日なんて来るのかなぁ」。

 

いつ頃からだろう。人と接するのを極端に怖がるようになったのは。

他人との距離感をうまく把握できなくなったのは。

子どもの頃から人付き合いが苦手だったけれど、

なんとかドップアウトせずに生きてこられた。

しかし、高校卒業以来勤めていた会社が倒産。

再就職の失敗を機に、それまで折り合いをつけていた自分の性格がひどく疎ましくなり、

感情があふれてしまったのだった。

 

「もう、人と会うのは無理だ・・・」

ニートで引きこもり状態になって2年近くが経っていた。

 

 

意を決して精神科に通い始めた時は希望があった。

「これで変われる。現状から抜け出せる」と。

しかし、物事そう劇的に変わることなんてない。

 

通院し始めて数ヶ月。

効いているのかいないのかわからないような抗うつ剤を飲み続けるのも辛くなり、

医師との問診も「本に書いてあるようなことしか言わない」と

聞き流してしまうようになった。

そして、とうとう僕は唯一の仕事である病院通いも止めてしまった。

結局、最後は自分でなんとかするしかない。それを、痛いほど感じるばかりだった。

 

また再び希望のない泥海にまみれるような生活に戻ってしまった。

だが・・・。精神科医のあの言葉がずっと心に残っていた。

それは、まったく外出しない僕に運動を勧めた言葉だった。

 

「ジョギングは大変だろうから、例えば・・・自転車で町を走ってみたら?

 昼間は人が大勢いて嫌だったら早朝や深夜に少しずつでも・・・・」

 

ほとんど心に響かなかった精神科医の言葉だが、この話は気にかかっていた。

自転車か・・・とりあえず乗ってみるかな。

ある日の早朝、思い立った僕はママチャリを引っ張り出し乗ってみた。

高校を卒業してからはほとんど乗ることのなかった自転車に。

 

 

乗ってすぐ、気持ちのいい風に包まれる。

気分が変わるのがわかった。

10分、20分、30分と、いつまでも走っていられるような高揚感。

高校の通学で毎日乗っていたはずなのに、その時とは違う感覚。

移動のためではなく、走るために自転車に乗る。

それがこんなに気持ちいいなんて。

それまで運動なんてまったくしていなかったせいもあるだろうが、

「このままどこまでもいける!」なんて、そう思えるほど心が躍った。

 

それからすっかりハマってしまい、毎日のように自転車に乗るようになった。

 

自転車で走る。

それは、自分の力で前に進み、成し遂げる歓びを知ることだった。

と同時に、この町を改めて知る行為でもあった。

それまでも見ていたはずのものが、別の意味を持ち始め、キラキラと輝いて見えた。

 

シュロの並木道。

車の高さでは見えなかった溜池。

祖父と祖母が焼かれた火葬場。

カモメがついばんだ魚が散乱する生臭い港。

民家と隣接するソープ街。

黒砂の山。

「南極物語」を見たグリーン劇場。

登りきった三崎公園から望む港。

リスポで交錯する名店街とショッピンセンタ—の思い出。

数多のパチンコ店と潰れたパチンコ店。

夕陽でオレンジ色に染まった工場群。

高台の住宅地からわずかに見える水平線。

いい思い出の少なかった母校。

風の薫りと肌触り。

海と空・・・・。

 

みんな、自分とは無関係ではなく、つながりがあるんだと実感が湧いた。

 

三崎公園の芝生のうえで楽しそうに遊ぶグループやカップルがいる。

以前は車の窓越しに「なぜあそこに自分はいないのだろう・・・」と悩み、煩った。

でも自転車で通る時には「もしかしたらあの場にいる自分もあり得るのかもしれない」と、

そう思えるようにまでなっていた。

「この先きっと・・・・」。

 

2012年初夏。

世間には「取り返しのつかないこと」が溢れている。

だけれど、きっと同じくらいの「間に合うこと」もあるんじゃないだろうか。

それは人にも、町にも言えるんじゃないか。

「せめて自分も10年前の状態が今の状態だったらなあ」と悩む夜もあるけれど、

いつだって「今からやればいい!」 そんなふうに思えるようになった稀な経験。

今ならそう言える。

 

会社が休みの、とある日曜日。

僕は今日も、自転車で小名浜を走る。

 

 

文章  hacosi

ホリエモンとさして年齢の変わらない30代半ば。

小名浜西小、小名浜一中、小名浜高校を卒業。小名浜在住。現在、地元の会社に勤務。

 


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