要素
Re:write vol.1 / text by arisa
私は現在、大学に通うために福島市で一人暮らしをしている。
福島市はいいところだ。人が優しい、果物が美味しい、自然が美しい。特に、見頃の花見山なんか「あっぱれ!」の一言。でも、こちらに住み始めてからというもの、やはり私は小名浜っ子なのだと痛感しきりである。中通り特有の方言を使うことも、山に囲まれた環境で生活するのも、性に合わない。
夏なんてただ蒸し暑いだけで、風はまったくと言っていいほど吹かないし、独特だけれどなんだが落ち着くあの潮の匂いも漂わない。大雪に喜んでいたのは1年目の、雪が降ったはじめの1週間ほどだけで、それ以降は雪の予報を知らされる度に反射的にしかめっ面になる。冬は空っ風にかぎる。
祖母の仕事の関係で、マグロのかき身やヤナギガレイ、カツオの煮びたしなどを毎日のように食べていた過去を、我ながら羨ましいとさえ思う。新鮮な魚を安くいただけない(福島市に美味しい魚がない、という意味では決してない)生活は、一人暮らしを始めた頃の想像をはるかに超えるほどの苦痛となっている。
このように、何かにつけて小名浜を思い出す。恋しくなる。言うなれば「小名浜が私を作っている」のだ。よく耳にするフレーズだが、これ以上しっくりくる言葉が見当たらない。そんなわけで、根っからの小名浜っ子である私は月に1、2度帰郷しなければ身がもたない。
3月も例に違わず、12日の夜に帰省する予定だった。「日曜日に三崎公園と馬の温泉に行こう」「ウニ丼が食べたいな…」などと、1ヶ月ほど前からずっと考えを巡らせていた。
しかし、3月11日に起きたあの大震災により、それは叶わぬ夢となり果てた。
私は震度6強の地震に見舞われながら、逃げ場となったテーブルの下で1人泣いていた。家族は、家は、無事だろうか…不安で仕方なかった。長い地震がおさまったあと、津波警報が発令された。港に近いところに住む祖父と祖母に「早く逃げて!」と伝えたかったが、災害時に簡単に電話が繋がるはずもなかった。この時ばかりはいわきと福島の距離を恨んだ。
やがて、大津波は日本を飲み込んだ。
食い入るようにテレビを見ていると、見慣れた故郷の姿を緊急報道番組が映した。目を疑った。液晶の中では、船が波に踊らされ、魚市場の建物が襲い来る恐怖に必死に耐えていた。
母親とけんかした時。
友人と語らった時。
感傷に浸った時…。
かつて、優しさと偉大さを見せてくれた小名浜の海は、その時は、ただの脅威でしかなかった。
3月23日に小名浜に帰るまで、正直に言うと絶望しっぱなしだった。つとめて明るく前向きに考えるようにしていたが、「復興は無理だ…」と、心のどこかで感じていた。実際に港付近を歩くと、やりきれない思いが溜息となって吐き出された。言葉も出ない、そんな惨状だった。
いろいろとお世話になっているうろこいちも、ジェラートを食べに足繁く通ったららミュウも、言い表せないほどめちゃくちゃだった。陸上に乗り上げた船はまるで現実味を帯びておらず、それを前にするとフィクションの世界にいるかのような気分だった。現状を受け入れたくなかった。
ところが、小名浜の人間はとにかく温かく、強い。
私が帰る頃には大体のものが片付けられており、人々は活発に動いていた。私と同じくらい、いや、私よりも心身共に消耗しきっているであろう人々が、周りと助け合い支え合いながら力強く生きていた。震災になんか負けていなかった。
そこには諦めというよりも、なんというかもっと生き生きとした、「這い上がってやる」というような根性、魂があるように感じた。小名浜っ子の私がそれに感化されたのは言うまでもない。今こそが「私が小名浜を作る」時なのだと思う。これまで小名浜の様々な要素が私という存在を作り上げてきたように、私も小名浜を形作る要素でありたい。そう強く思っている。
2011.4.14 up
profile arisa
1990年いわき市小名浜生まれ。小名浜二中を経て、磐城桜が丘高校を卒業し、現在は福島大学人間発達文化学類に通う大学生。
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JunJun (木曜日, 14 4月 2011 22:49)
はじめまして、こんばんは。私は1990年生まれの福島大学経済経営学類に通う者です。twitterから飛んできました。
やはり生まれ育った“故郷”は自分の“ふるさと”であります。しかしarisaさんは今、福島市で修行なさっておられる。故郷を離れることでいろいろなものを学び、内にいた時には見えなかったものも見えるようになってきたはず。小名浜を復興する要素であるとともに、ともに福島市で修行を積みましょう!
出しゃばったコメントごめんなさいでした…。
マカロン (水曜日, 27 4月 2011 11:27)
arisaさん、こんにちは。
福大の人間発達文化学類なら、私の後輩になるのかも。
(私は、旧教育学部出身です。)
いわきに嫁いで、子どもを生んで。
今では、いわきが第二の故郷になりました。
きっと、この地に骨を埋めるんだろうな。
毎日のように、ららミュウや美食ホテルのあたりをベビーカーで散歩をしていただけに、小名浜の惨状には今でも胸が痛みます。
でも、確実に小名浜は一歩一歩前進しています。
arisaさんやJunJunさんのような若い力が大きなうねりとなり、
小名浜の復興の光となりますように。
私も微力ながら応援させてください。