シンマイコ スラッシュ
岩手県盛岡市。
鮭が産卵に川を昇ってくるこの地が、私の生まれ故郷だ。
辺りを奥羽山脈に囲まれた長閑な田園風景が広がる盆地。
沿岸部に行こうものなら、その山道をヘアピンカーブと長いトンネルを潜り抜け、片道2~3時間かかるのが常だ。
だからだろうか。
高校3年の時、進路指導の先生の 「いわき明星大学は面白い教授陣が居るぞ」
こんな言葉に後押しされ、両親と交わした「東北を出ない」約束で、海のある、面白そうな大学。
そんな理由で、私はこの大学を受けたのだ。
大学1年の夏。私がはじめに覚えた遊びが海での遊びだった。
いや、大学で過ごした大半が海での想い出しかない。
海の潮の匂いで包まれていたのだ。
大学から車で15分も走らせれば、そこには憧れの砂浜が広がっていた。
私の心は踊り、ときめいた。
時には洋服を着たまんまザブザブと海に浸かり、
友人の洗いたての車の中をびしょ濡れと砂塗れにしたのが懐かしく思い出される。
海に突き出た三崎公園の潮見台ではオランウータンのように柵にぶら下がったり。
ほんとうに、あの頃はバカなことたくさんやってたなって、切なく胸が締め付けられる。
若かりし頃のモヤモヤとした悩みごとさえ、繰り返される波にいつしか癒され、
その塩辛い涙は、海の分子のようにポタポタと砂浜に落ち、そして吸収されていった。
卒業。そして故郷へ帰り、そして、、、、
この海の思い出がもう二度と取り戻せなくなるなんて、あの時は思いもしなかった。
友人に「逃げて」とメールを打つことになろうとは、思いもよらなかった。
震災の年の初夏、私はいわきを訪れた。
震災で大打撃を被った岩手や宮城のニュースは大々的に聞こえてくるのに、
肝心ないわきのニュースが聞こえてこない。
この目で確かめるしかないという思いと、
友人の懐かしい顔、懐かしい声を確かめたいという想いが複雑に脳裏に揺らめいてどうにもならなかったのだ。
タクシーの運転手さんに頼んでひた走ったその光景は
私の想い出を無残にも目茶苦茶に引きちぎり、なぎ倒し、
そして根こそぎ海の彼方へ持っていってしまった。
想い出の沢山詰まった新舞子の海には、家庭用家電がゴミのように打ち寄せられ、
美しいはずの砂浜は半分も持ち去られていた。
震災後数ヶ月と経っているのに手付かずの家々には。
築年数に関係なく取り壊しOKのオレンジの紙が貼り付けてある。
小学校のプールには、瓦礫の山がまるで奥羽山脈のように連なるようにうず高く盛り上げられ、
塩屋崎の小さな鳥居も、助かった片足で踏ん張って海を見つめている、そんな情景だった。
シンマイコ スラッシュ。
せっかく紡いできた「縁」を鋭いカッターナイフで切られた気分だった。
そして、この痛々しい傷は私だけの傷ではないように思えた。
日本に住む誰しもが負ってしまった、目に見えない傷。
だからこそ、応急処置が必要だと、心の中に強い想いが根付いた。
翌年、ボランティアツアーがきっかけで「縁」のできた陸前高田を基点とした
「花の種を贈るプロジェクト」を始めた。
きっと私は、その失われた「スラッシュ」という傷を、生命で満たしたくなったのかもしれない。
次こそはいわき。
そう思っていた矢先、このエッセーのご縁ができた。
日に焼けた写真を懐かしく見つめながら、今、神奈川の自宅でこのエッセーを書いている。
スラッシュ。そして、その後。
痛みを伴いながらも、決して未来は苦しいものだけではない。
私は、着実に歩みを強めるいわきに想いを馳せながら眠りにつこうとしている。
まるで、小さな芽同士が絡まりあい、伸び、成長するが如き生命の息吹が
「スラッシュ」という傷を埋め尽くす様子を夢、見ながら。
文章/Akieem Zawadi
岩手県盛岡市出身。いわき明星大学人文学部社会学科卒業。
地元の盛岡でアジアンリゾート輸入雑貨店に勤める傍ら、
オーダーメーメイドウェディングで引き出物や席辞表などのイラストを手掛け上京。
イラスト、ウェブデザイン、ライブペイントなど中心に活動している。
2011年に始めた「花の種を贈るプロジェクト」では、
アートと花の種を通じて互いの気持ちを分かち合う「シェアリングスピリッド」を養う企画を進行中。
現在は執筆活動も精力的に行っている。
http://i99789.wix.com/sendtheseedproject
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