FEATURE
小名浜本町通りの日常と非日常
photo by Ayumi SATO
「“業界初”の手づくり芸術祭」をテーマに2日間に渡って開催された小名浜本町通り芸術祭2013。10月13日、14日と、小名浜の本町通りを舞台に、大小さまざまな展示やワークショップが開かれ、通りはたくさんの人で賑わった。幸い天候にも恵まれ、本町通りには作品や人が次々にはみ出し、いつもと違う本町通りの雰囲気を思う存分楽しんだようだ。2日間の祭りの様子を、写真と映像で振り返る。
—その時々に合わせて変化する、即興と仮設の芸術祭
小名浜本町通り芸術祭に「定型」はない。空間は、そこに集まる人たちや描かれた作品、天候などによって即興的に変化する。そのコンセプトが端的に現れているのが、メイン会場となった「小名浜仮設美術館」だろう。建築家のアサノコウタらが開催したワークショップによってしつらえられ、芸術祭当日、美術館にやってきた人たちの作品によって、見事にこの場が完成した。
中央に伸びたシンボルフラッグからは、子どもたちの絵が描かれた小旗が次々につるされ、屋根のように空間を覆っている。その優しい屋根の下で、人々はおしゃべりに興じたり、絵を描いたりしている。ほんの1ヶ月前までただの空き地だったとは思えない、賑わいと笑顔が生まれていた。
—招待作家による作品展示「小名浜アート盛りつける」展
本町通りにある店舗や空き地などでは、招待作家の展示も行われた。作家は3つのカテゴリに分けられる。写真家の大森克己やファッションデザイナーの川西遼平のように、過去に小名浜で作品を制作したことのある作家たち。2つ目が、写真家の白井亮、イラストレーターの茉莉枝ら、小名浜出身ながら現在は他の土地で活動する作家たち。そして、比佐健太郎、高木市之助のように地元に根ざして活動する作家たちだ。
国民的な作家や、日本を代表する芸術家の作品はほとんどないが、小名浜にゆかりのある作家だけに、その存在も身近になり、その分作品にも入り込むことができる。会場も、日常的によく使う場所であり、作品の中には、小名浜を描いた作品もある。まさに地元が媒介となってアートと人とが接続され、よりその「場」を楽しめるような空間になっていた。
作家本人も可能な限り会場で対応した。作品に込められた意図、作品を作ったときの思い出や小名浜の印象など、観覧者と触れ合う。外から来た人には外から来た人の、出身者には出身者の言葉がある。小名浜と様々に関わる人たちとの交流を通じて、日常的に暮らす小名浜というまちが立体的に感じられたのではないだろうか。
—はみだしの愉悦 ワークショップで作品をつくる
作品展だけではなく、芸術祭当日はさまざまなワークショップが開催された。コラージュワークショップのように、作家の手ほどきを受けながら作品を作るものもあれば、「大森克己 小名浜写真館」のような、作家とともにまち歩きしながら行う、ミニ観光のようなものもある。まちにはみ出して、まちと共に作品を作ることの楽しさ。まさに「はみ出しの愉悦」が感じられるワークショップとなった。
筑波大学創造的復興プロジェクトでも、なわとびプロジェクトという参加型のワークショップを開催。こちらは、その映像をまとめた作品だ。
—芸術祭の本命 市民作品展
数ある作品の中で、小名浜本町通り芸術祭の「思想」を体現するのが、これまで半年間に渡って開催されてきた3つの公式ワークショップで制作された市民の作品。朝の町歩きフォトセッション「あさんぷぉ」、昼の景観スケッチ「小名浜の景観をスケッチしに出かけよう写生会」、夜のバスツアー「SNOOF 小名浜工場夜景撮影バスツアー」の3つだ。
朝の町歩きでは、自分の足で小名浜を散歩しながら美しい風景を探す。朝の美しい光を浴びたまちはひときわ美しく、改めて小名浜というまちの可能性を感じることができる。景観スケッチは、まち歩きのように移動は多くはないが、1つの景色と向き合う時間が長い。その建物の歴史や、その場で流れてきた時間の厚みを感じられるイベントだ。そして、夜は、足を伸ばして非日常の工場夜景の風景を切り取りにゆく。
ー小名浜の日常と非日常
冒頭で、今回の芸術祭のテーマが「即興」と「仮設」と紹介したが、もう1つ、「日常」と「非日常」というテーマがあるように思う。そこには、生活者としての目線が強くある。生活者でありながら、日常の風景に没することなく、旅行者のように外部の目線で日常に潜む風景を切り抜いていく姿勢。そこにあるのは「まちでの暮らしを楽しもう」というシンプルなメッセージだ。
またそれは、日常を引き裂いた震災や原発事故とも接続される。徹底的に「日常を問う」ことも、芸術祭の隠されたテーマだ。大森克己の写真展のタイトルにもあるように「すべては初めて起こる」日常の中で、その「初めて」に対して即興的に応じていくことは、震災直後の、まったく先の見えない時間を生き抜いた私たちの処世術ではなかったか。それを表現の領域に当てはめ、今ある日常を徹底して使い倒しながら、日常の揺らぎや不確かさを呈示しているようにも見える。
本町通り芸術祭には、そこに暮らす人間のまちへの愛情だけでなく、まちの日常への疑いの目があった。空き地やシャッターは、それができたときには「非日常」でも、やがてすぐに日常の風景になる。芸術祭が終われば、本町通りには、またこれまでの日常の時間が戻ってくるだろう。日常とどう向かいあうのか。小名浜本町通り芸術祭は、芸術祭が終わった今も、私たちに静かに問い続けている。
text & by Riken KOMATSU
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